16:ほんとうのさいわい──『星列車で行こう』感想文

 これは世界のどこかにいるひとりのエンタメ大好きオタクが、大好きな人やその人が見せてくれた景色について書き残した、ちょっとした忘備録です。

※何かのご縁で、筆者を知らないけれどこれを読んでくださっている方へ 筆者はTOBE所属、IMP.(あいえむぴー)のセンター佐藤新くんのことが大好きなオタクです。

はじめに

影山拓也さん初単独主演舞台『星列車で行こう』無事完走、本当にお疲れ様でした! 舞台観劇が大好きなオタクなので、今回も楽しく観させていただきました。というわけで、この熱量のうちに今回の舞台について自己解釈を書き綴っておこうと思います。

 なお、あくまでこれは一個人の解釈であること、舞台は生ものなので公演によっては必ずしもそうではないであろうこと(私が観劇したのは8/24 御園座 昼夜公演です、ご参考までに)、著者はただのオタクであり偏った知識であることをご了承の上、気楽にお楽しみいただけますと幸いです。また当然の如くネタバレ満載となりますのでご注意ください。


1.豊富なオマージュ

 物語の感想に入る前に、オタク(一人称)的にめちゃくちゃ楽しかったこのお話から。この舞台、有名作品のオマージュがそこかしこに散りばめられていて、ものすっっっごく目が喜んでおりました。

 分かりやすいものでいうと、第二幕、怒涛のブロードウェイオマージュ。私が最初に気付いたのは、次郎が歌い踊る「MONEY」が『ミス・サイゴン』であることでした。既視感ある……と考えて、あ、これアメリカンドリームだ……!? と気付いた時の気持ちよさたるや。となると……と話を辿ると、善行のモッププレイ(?)は『メリー・ポピンズ』、五郎が歌う「スタンド・バイ・ミー」は『ウエスト・サイド・ストーリー』(ここに関しては単語数まで合ってるのがだいぶ面白い)なんじゃないかなと思います。あくまでオタクの予想ですが。

 また、もうひとつ既視感を覚えたものがありました。それは「将来駅」到着時の柱です。こういう駅、見たことあるな〜と。……これ、パディントン駅とかの類では? と気がついたわけです。
 となると、と始発駅のことを思い出してみました。0番線から発車するという特殊性、主人公を含む3人の構図、機関車……これ、『ハリーポッターと賢者の石』のオマージュじゃないですか!?!? 遊び心〜!!! 名曲だけでなく名作が、まさに星のように散りばめられている。45分×2という極めて短い上演時間(当オタク比)で語るには、それ相応の“定石”を用いて物語への没入や理解を図る、という、なんとも頭が良い人でないと思いつかないような演出だなと思いました。この時点でかなり面白い。

 余談ですが太郎、次郎、五郎が互いの名前を名乗る場面で「坂東」「市川」「片岡」と聞き覚えのある苗字が並ぶ場面、かなり歌舞伎的な笑いどころの作りでフフフ……となりました。ずるい。生産者の顔を感じてにっこりになりました。

追記:「追憶駅」にて彼らを囲むアンサンブルさんの動き(夢があるのなら〜のくだり)は『レ・ミゼラブル』のオマージュだと思います(あくまでオタクの解釈)


2.そもそも「星列車」とは?

 さて、 ここからは物語そのものについての解釈をつらつら述べていきたいと思います。そもそも、星列車って一体何なのでしょう?
 作中で明かされていることといえば、自分自身の夢を見つけるために星列車に乗るということ、地球から離れ星空の中を走る電車であるということ、いくつかの駅に停車すること、車掌がロボットであること、自分自身の夢を見つけなければ降りられないこと……など、列車のシステムに関することが多く、“じゃあ結局なんなのか”ということには言及されていません。

 もちろん、これについてはシンプルに受け取ることもできます。“夢を見つけたい人たちが乗り、見つけた人から降りていく異空間”で、十分成立する物語です。美しく青い、青年たちの冒険です。群像劇とファンタジーが綯い交ぜになったような物語、として楽しむべきかもしれない、とも思っています。なので、どうか、そう受け取ったままにしておきたい方は、この項目をこれ以上読み進めないようお願いいたします

 どんな解釈でも構わない、という方のみ、この先にお進みください。


誤読防止に御園座の揚げ餅を貼っておきます


 星列車は原則、太郎、五郎のように切符を手に入れた人間が乗車しています。例外として次郎だけが、切符を事前に手にしておらず、その“善性”を認められて乗車を許されています。
 また、乗客は次郎を除き、最初から妙に互いに対しての好感度が高いように私には思えました。果たしてただ乗り合わせただけの客同士が、最初から友人同士のように話すことができるでしょうか? 星列車の特殊性からして“起こり得る”ことではあります。ただ、私はこのことから乗客には共通項が存在するのではないかと思いました。

 私はこう考えます。星列車での旅は臨死体験であり、切符は死を選ぼうとした人間に与えられるのではないだろうか、と。

 そう仮定すると、整合性がとれる場面が出てきます。例えば「追憶駅」で降車を望んだ次郎が車掌に「貴方には降りる資格がありません」と言われる場面。次郎は迷い込んだ存在であり(始発駅がキングス・クロス駅のオマージュであるとすれば、ハリーたちが柱に飛び込んだように、逃げていた次郎が0番線に辿り着けてもおかしくはありません)切符を与えられていない≒(この解釈の場合)そもそも命を絶つための行動をしていないわけですから、そこに降りる資格は確かに無いといえるでしょう。

 また、この舞台における最大のオマージュ元と考えられる、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』。誰も自分を知らないと思い悩む太郎、次郎、五郎の姿は、『銀河鉄道の夜』におけるジョバンニと重なります。カムパネルラが亡くなっていたことを考えると、彼らの中にも本当に望んだ者であれば「追憶駅」で降車を許されるのではないだろうか、と思えるのです。

 そうだとすれば、太郎が家にスマホを忘れたと気付いて諦める描写も、憧れの装束に身を包んだ五郎の姿も、かなり痛々しくてかなしいものに思えて、残酷だなあ……と思います。もちろん良い意味で。この現代社会でスマホを忘れて「いいや」と思うほどの無力感、絶望感、もしかしたら太郎はそのままふらりと……と思うと、その最中で星列車に招かれたことは「さいわい」だったのかもしれません。

 『銀河鉄道の夜』はもちろんですが、『銀河鉄道999』の要素も散りばめられていていいヒントになっているなあと思いました。車掌がロボットであるところや、「夢追う駅」の前に星の鉄橋を渡るところなど。ロボットであることを明かされた瞬間に急に車掌が不気味に思えるの、とってもとっても不気味の谷を感じて、私って人間〜! と思いました。さいこう。(気持ち悪い楽しみ方ですね)


3.俳優・影山拓也さん

 やっと感想らしい感想です。

 いつも目にしている“アイドル・影山拓也”さんとはまた違った彼を見られて、その努力を讃えたくなったと共に畏怖にも似た感情を覚えました。これ『波濤を越えて』の後にも同じことを言った気がする。

 とても好きだなと思ったのは、言葉尻や歌い方に至るまで、物語が終わりに向かうにつれて彼らしい音に近付いていくこと。なんだかそれが、思い悩み、旅をして、自分を見つけ新たに歩み出す太郎らしさをうまく音で表現しているように思えて感動しました。リーダー、なんでもできるな……。あと、これはいつものことなんですが本当に鼻濁音がうまい(うまい) メンバーが大興奮するのも納得です。

 そしてこれは個人的な感慨というか、そういうあれなのですが、『旅はいいもんだ』『スタンド・バイ・ミー』の影山拓也さんの踊り方がめちゃくちゃに坂本昌行さんを感じてべそべそになってしまいました。(V6育ちのオタク)


まとめ

 というわけで、散らかった感想文になってしまいましたが、とても楽しませていただきました! ということを申し上げておきます。あと御園座さん、椅子のクッションがめちゃくちゃ良い。あれ欲しい。かわいいし。

 ラスト、まっすぐ敷かれた線路から離れ、3人が“それぞれの出口”から出ていくように。そう生きることは、誰にでも許されていることであること。宇宙は善行を必ず見ているということ。洋画ぽい背景で行われる極めて仏教的・日本人的思考の舞台作品で、なんともこの伝統芸能の舞台に相応しいなと思いました。

 改めて影山拓也さんをはじめとする出演者の皆様、スタッフ・関係者の皆様、そしてなにより影山担の皆様! 星列車の無事の運行、本当に本当にお疲れ様でした!

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