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なぜnoteを利用しているのか

ドメインパワーがあり、オススメからの流入が見込めるからである。以上。

で終わってしまうのが悲しいところだ。もうちょっと書こう。


ブログにおいて、ドメインパワーというのは割と重要なポイントだ。パワーがないと流入が見込めないからだ。
そう、ゼロ年代あたりでは、流入経路のメインは(Google)検索だった。
Amebaブログが芸能人を抱えだしてそういうブランディングを始め、認知が拡がっていったのが恐らく2008年あたりからで、そこから5年ほどはまだ独自ドメインのワードプレスも生き残っていた。

しかし2015年あたりからは急速にSNS化が進んだ。
安保や、ISテロを経て、ウェルク問題、トランプ大統領当選など、背景の要素は多岐に渡る。
YouTuberの発展もこの辺りからだ。

僕は各プラットフォームに興味がなく離れていたので詳しくなかったが、こちらの遅いインターネットの記事によると現行はこうらしい。

浅生鴨×宇野常寛 ツイートは3日で自動消去を。インスタには完食後の器を。
https://slowinternet.jp/article/20200420/


"テキストの分量が制限されず、いくらでも書くことができて、書いた瞬間に世界中に参照させられるという、テキストを自由にするものが本来のインターネットだったんです。でも今はTwitterだったら僻みっぽいクソリプ、noteだったらエモいエッセイ、Facebookだったらリア充自慢、インスタだったら映える写真みたいに、プラットフォームによって逆にテキストが規定されてしまっている。"

(元記事も面白いので、ぜひ読んでほしい)

あ~なるほど、僕のnoteがちっとも鳴かず飛ばずなのはそういうことね。

という気分であるが、フォロワーを抱えていない無名の自分にとっては、どこかのプラットフォームに寄生することが手っ取り早い。
独自ドメインを取得して粛々とそこに記事を上げる、と言う手もあるが、Google検索について、検索結果それ自体の汚染具合と、検索するユーザーの情報リテラシー低下を鑑みれば、僕の記事などに誰かが辿り着く可能性は極めて低く、今独自ドメインで行っても矮小な自己満足未満の何かで終わる。

もちろん、プラットフォームは突如終了する可能性が常にあり、いずれかのタイミングで独自ドメインの方にも並行して記事を上げていく必要性は出てくるだろう。
だが今ではない。

それこそnoteを始めた初期はエッセイもどきを書いていたが、あまりに虚業すぎて辞めた。しかもウケなかったし、適正もなければ続ける気力もない、そもそも自身のテーマやアーティストステートメントから乖離し過ぎているから、どのみちやる意義が一切なかった。
これに気づいたのは最近である。

エモいエッセイでウケる人はすげえなぁ…と思いつつ、
100年後とかに社会の事を考えている人が僕の記事にたまたまアクセスして何かを得てくれればいい、という気分で今は書いている。


死後なら、発言者本人のことなんてどうでもよくなるのだ。だいたいは。

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