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熱狂感による集団的信念≒擬似共同幻想が形成されたドージコインの現象

個々の熱狂感が容易に接続され得るインターネットの作用によって、集団的信念≒擬似共同幻想が形成された例がまた出た。

ドージコインをシリアスに受け止めるべき理由
https://www.coindeskjapan.com/100142/

"多くの人にとって、以前は馬鹿らしく思えたものがきわめてシリアスなものになることがある。2016年以前、世界の大半はドナルド・トランプ氏を大統領選に勝つ可能性などなく、リアリティ番組のスターに過ぎないと考えていた。大半はトランプ氏をジョークのような存在と捉え、多くの人は今もそう考えている。だが彼はそれでも4年にわたって世界で最もパワフルな地位に就いた。
これは適切な比較ではないが、ドージコインをトランプ氏に喩えることが重要なわけではない。ドージコインの時価総額が70億ドル(約7400億円)まで「ジョーク」で達したと言いたいだけだ。これはまた、熱狂が破裂すれば、一部の人はかなり深刻な損失に直面することを意味する。"

逆立する対象を失い、資本主義世界観において(主に生理的な)欲望が加速装置となり肥大し続ける現状、その個人幻想的な何かは熱狂感的な回路を通じて擬似的な共同幻想を作り上げる。

トランプ大統領の誕生はそれを最もインパクトを持って表した例だが、このドージコインの現象も似た回路だ。

この記事では「ジョーク」と言っており、これは適切な表現であるとは思えないが、こういうメディアで書くにあたっては他の語を当てるのも難しいよなぁとは思う。

僕はインターネットの事を「対称性を問わない相互接続機能そのもの」と定義している。

インターネット的な回路で、個人幻想から逆形成された共同幻想は、その基調が社会ではなく欲望である時点で「低俗化」したものだと言うことができる。

しかし、インターネットがあくまで「対称性を問わない相互接続機能そのもの」しかない以上、このような状況が起こるのは必然とも取れる。
そうすると、これは低俗化ではなく自然な流れでしかない、と言うことだ。

この流れに抵抗する知性的な態度表明は、もちろん重要だと思うが固定堰的な役割に留まると思う。

それよりも恐らく重要なことは、欲望を再考して共同幻想的なものを再設計することではないか。

以前の記事、
https://note.com/_ttttt/n/n789d84b2886e

ここで欲望の再設計が必要だと書いたが、改めて考えたところ、特にこの飽食化が加速する先進国的な日本の世界観において、欲望はその対象の環世界が思ったよりもバラバラで、ぐにゃぐにゃしている感じがする。

欲望自体は危機管理的にある程度パターン化するなりで留めておいて、ベースとなる柔軟な何か(これが共同幻想と呼べるのかどうかはわからない。対幻想的な回路で留まるのかもしれない)を提示することの方が汎用性が効くと思う。設計はちょっと堅すぎたかな。


最もドージコインの例は多分日本人はそんなに絡んでないと思うので、単純に当てはめて考えることは難しいとは思う。だが三大宗教を始め、日本でも終身雇用神話が(特に若い世代で)機能しなくなってきている。

人間の土着的な文化側面は異なっても、インターネットの作用がもたらしたと結果、という構造から拾えるものはあると思い、記事を書いた。

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