『欲望の新たな設計』という,根本的に考えるべき部分

なぜ"サステナビリティ"と言う単語が使われるのか?
例えば,狩猟採集民の生活であればサステナビリティなど声を大にして言わないだろう.
彼らの生活は自然と共にあり,生活の駆動原理は常に"自然"に内包されているからだ.

しかし資本主義という『消費加速装置』はその駆動原理を"人間の(主にブーストされた生理的)欲望"に求める.
つまりサステナビリティと言う語は資本主義というイデオロギーと共依存関係にある.
もちろん資本主義からの撤退戦におけるベターとしてサステナビリティという語は適切といえる.

だが本来,もっと考えるべきなのは資本主義に変わる別のイデオロギー,より正確に言えば『欲望の新たな設計』だと考える.

https://newspicks.com/news/5603862
こちらのウィークリーオチアイ・資本主義ハック回でされていた,児童労働をしていないチョコレートの販促として物語性付与の話,初期において認知を拡げていくためのツールとしては非常に有用だと思う.
とはいえこういったものは突き詰めていくと『語り口』の問題でしかなくなっていく.

要は,どれだけエモいかだ.

僕は以前論理性に9割以上偏らせた内容でデモをしたことがある.去年12月の話だ.
あれは僕の中では未来のビジョンを元にした物語性的なアプローチであったが,参加者は0人であった.
端的に言うと,多分エモくなかったから集まらなかったのだ.
(僕の"立場"が何者なのかわからない,というところも大きかったと思う.詳しくはこちら)
概要→ https://note.com/_ttttt/n/n7d3805ab0289
考察→ https://note.com/_ttttt/n/nf667ac9b8963

エモさに訴えていくと,その主張はよりわかりやすくなりがちで,より単純化されていく.
そうすると,語り口のうまい煽動者に信者がつき,閉じてカルト化していき,否定派は排撃される.
既に現在,SNSで頻発している.

しかしこうした状況を単に「悪い」などと言って切り捨てることはできない.
なぜなら,エモい物語性チックなものを効率化して突き詰めたら,結果として単純化しちゃった.というだけだからだ.個々人のスキスキセンサーに引っかかること自体は重要.

今生きている我々人間はそういう構造である.
これは,じゃあ諦めようと言う話ではない.
半ば諦めきった撤退戦とはいえ,未来を思考する論理をインターネット上に置いていったり,地道に人間を教育する試みはきっと有用ではあると信じたいし,多分辞めるべきじゃない.

単に,もっとやるべきことがある.ということ.
それが『欲望の新たな設計』になる.

正直,この思索は全然エモくないと思う.僕個人は最優先で考えるべきことだと思っているが,なぜか誰もやってないので,多分エモくないんだと思う.あるいは意義がないと思われているか,そもそも思索に入っていない.
〇〇を改善して地球環境にコミット~とか,多様化した個人幸福の最大化!とか言うキラキラした話じゃないからだ.
これらは現行の資本主義と,それに連関する民主主義を暗黙の前提としている.

『欲望の新たな設計』は,この前提から問い直す.
例えば,突然人知を超えた大いなる力によって世界中にベーシックインカムが実装され,個々人がその生存を労働なしに確約されたらどうなるだろうか?

生活のために働かなくて済むようになれば…多くの人間がじゃんじゃんやりたいことを見つけちゃって,アートや研究に携わるようになるんだろうか?満員電車と通勤の無くなった東京の街中には皇居ランナーあらため特区ランナーが激増し,健康と笑顔が溢れるんだろうか?

ちょっとそうは思えない.

これまで浸かりに浸かってきた上に,その資本主義以外の駆動原理を知らない人間が,突然ハイそうですかとクリエイティブにはならないだろう.

ベーシックインカムが金銭的なものであれ財・サービス的なものであれ,資本主義駆動に慣れきってしまった人間は結局それらすら集約(≒搾取)し,自分らの経済圏の利益を伸ばそうと考えるのではないか?

あらかじめ研究・アート・創作など資本主義駆動から外れた世界観に関わっていない人間が,明日からその世界観で生きろと言われても土台無理な話だと思う.


もちろん現状の社会システムは根深く,上澄みだけでも変えることは困難を伴う.
そのため,消極的思考として現状の社会システム(民主主義,資本主義)をベースにベーシックインカムの構想を練ってしまうのは致し方無い.


だが,根幹は人間にあると思う.
どんな立派なシステムができようと,適した駆動原理で動かさねば動かないのである.電池で動くドローンにガソリンをぶっかけても壊れるだけだ.

人間もまた然りで,資本主義以外での駆動原理を考えねばならない.
資本主義とはすなわち欲望の加速装置であり,近代以降の発展はこの不自然なまでの加速が功を奏した.

そのシステムをこれ以上加速させ続ければ地球がぶっ壊れるとなれば,そもそも装置自体を変えようとする方が根本的な話になる.ここをゲームチェンジしようとしなければ結局上滑りで完結してしまう.

人間が物理的身体を超越するまで,少なくとも我々は数万年以上に及ぶ進化の過程で育まれてきた欲望によって駆動する.
生物としての3大欲求すら,設計された欲望によって肥大化し,原型が見えないほどだ.

ここでようやく話が戻るが,つまり『欲望の新たな設計』をしなければ根本的な変革は一切起きないのである.


じゃあどういう設計例があるんだよ,って話だが,まだうまいこと思いついていないしそもそも一人で全部思いつくとも思っていないので,とりあえずここまでを記しておく.

サスティナブルとか考えることも大事だけど,そもそも論的なところをどうして誰も言い出さないのか?と疑問で仕方なかったので,とりあえずまとめた次第.

今後も色々学びながら書いていこうと思う.

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