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14歳の栞を見てきた

栞、という言葉がとても適切だなぁ、と思った。

公式↓
https://14-shiori.com/

落合陽一さんもnoteで書いていたが、マジでどうやって撮ったんだろうという箇所が結構あった。
ある種の信頼関係というのか、環境化してしまうというのか?とにかくスタッフさんすげぇ、偉大だ。


感想は以下の2点で書き進めていく。
・僕自身の過去を振り返った感想?
・性格形成期に経験する原体験≒初体験の純粋さの重要性


まず前者。
適当に書きすぎてめちゃくちゃなので飛ばしていいと思う。

僕が14歳、中2の時は確か2011年が含まれていたので、東日本大震災の時期だ。当時は愛知県に住んでおり、直接的な被害は(当時感じ得る限りでは)無かったし、親類もほぼ中部地方周辺にいたので肌感覚的な実感はなかった。
しかし既にインターネットへ毎日全身浸かった生活を送っていたので、何となくTwitterがこの辺りから変容してきたのは要素として感じ取っていたかもしれない。2010年あたりでは1時間あたりのツイート投稿に制限がかかってサブ垢に移行する的なアニメアイコンアルファツイッタラーみたいなのが結構いて、僕もそんな感じのアカウントを使っていた。懐かしい。そのあと2015年くらいに、様々なログやアーカイブを含めて可能な限り削除したので今は残ってないんだけど。

この映画、14歳の栞ではそれなりにみんな将来の事とか考えていて、当時俺そんなこと考えてたっけなあ…と振り返ってみたが、

「FXでバリバリ稼いでフィギュア買い放題だぜ!」

的なことを考えてたのくらいしか覚えてない。
(当初は地方冊子の「最近のワード」みたいな単語説明のところにアフィリエイトとかFXとかが書いてあった。)

10歳の頃の二分の一成人式とかいうやつでは将来の夢のところに「弁護士」と書いたことは覚えてるが、なりたいなどと全く思っていなかったのになぜ書いたんだろう…。
金がいっぱい貰えるからとか、母親から超軽く勧められたからとかかもしれない…覚えてねえ…

14にもなると当時のインターネットには情報教材が溢れており、アフィリエイターが多数台頭している時期だった。僕も広島とか東京とかにセミナーへ行ったりしたが、この年齢のガキは他に誰もいなかったのであの時は無駄に持て囃された気はする。若いどころか子どもなので、金蔓にはならなかったのだが。

でもなぜかずっと就職という選択肢は初めから思考にすら上っていなかった。
友達も両手で数えられるくらいしかいないし、オタクなので僕らの集団は確か皆動物園の動物みたいな扱いの目線を向けられていたような気がする。関わり合いがなかったので実態がわからない…。
学業に関してはよく寝てたがテストで点が取れればその辺はあまり関係ないので、主要教科の通知表は基本5だった。副教科は基本死んでたと思う。

映画で皆んなが答えていたような将来の夢だとか、社会的な回路とか、友達関係とか、どれも大して深く考えてなかったなぁ。速いインターネットの作用はもはや僕らから見てもニューエイジ的なレベルかもしれない。ラインとか無かったし。オタクはSkypeでチャットしてたからな…。

さてまぁ割と支離滅裂でどうでもいい過去話の感想はこれくらいで、次に移る。


・性格形成期に経験する原体験≒初体験の純粋さの重要性

結論を先に言うと、我々が一般的に考えるような「大人になる」という行為は、単に原体験を劣化させていく作業に過ぎないのではないか。という事だ。

映画内のインタビューで、「私は冷めてるからなぁ…」と言っていた子も、もっと仲良くなれるならなりたい?と聞かれたら一旦考えた後、うん、と肯定の意を示していた。

他の子たちにも内容は違えど、共通しているように見えるところがあった。

感情に対して素直な反応を示すところだ。

14歳にもなればもう色々な事を考える。あの映画を見て思ったのは「大人も子どもも変わらない」ということで、むしろ発露した感情に対して素直な反応を示せる回路がより多く残っているという点においては、俗に言う「大人」なんかよりも余程発達した人間であると思う。

感受性の回路を封じる・壊す・歪ませる。この社会的な適応は程度の問題はあれど、多分生きてる以上誰もが行うことだろう。

映画内の子たちも多かれ少なかれそういうことをしていた。だが、それを詭弁を用いて正当化したりはしていなかった。

適応のための社会行動は行いながらも、素直に感じた反応自体は認知を歪ませずそのまま受け止めている。

思春期の悩みのようなものは、この二者のコンフリクト的なものかもしれない。

そして一般に大人になると言うのは後者を更に封じながら前者へ傾倒していく行為のように思える。

でもどこかでバランスが悪くなるので、いつからか「素直に感じたこと」自体も歪ませながら認知してしまうようになる。そして、その認知の歪み自体にも慣れてしまう。当たり前になる。疑わなくなる。


大人になる、ということの正体はもしかするとこういうことでしかないのかもしれない。

そしてもしそうなら、それはかつて豊かな感受性で受け取った原体験を(もしかすると不可逆的に)劣化させる行為でしかない。

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