野望

愛宕山。
今日は久しぶりに登山をした。

会社の同僚と3人で山の頂を目指した。
5日前ほどに休憩室で会話をしていて急遽決まった登山だった。

2人はほぼ初めての登山。僕も大学の時に少し登ったことがあるくらいだった。
全員初心者で挑む登山もなかなか面白い。

小走りのおばちゃんが颯爽と僕らのことを抜いて行ったり、
4歳くらいの子供たちが僕らと同じペースで登っていたり、
山頂でカップラーメンが恋しくなったりした。

知識もなければ経験もないからこそ正解なんてわからずネットの情報を頼りにそれぞれ準備をして当日を迎えた。

ゆったりしたペースでてっぺんまで登って行き思ったより楽に登頂ができた。てっぺんは神社だったので参拝をしてお昼休憩を挟んだ。
その後は行きと別の道で降り15時半には電車に乗っていた。

総移動時間5時間半の登山だった。
初回にもってこいの山だった。ただ、山のてっぺんがひらけている訳じゃなかったので感動は開けている山からすると少し薄かった。

でも、会社のメンバーと初めて登山ができて良い休日だった。

登山中は仕事の話から、恋愛の話、人生観の話など、
色んな話をした。

その中で俺はもしかしたら今人生に迷っているかもって思ったりもした。
今、分岐点なんかなって思ったりもした。

今仕事では、新たな取り組みのリーダーみたいなポジションにいる。
そこで任されていることは組織全体の営業力向上。なかなか長期にわたるプロジェクトになりそうだが、このプロジェクトの成功は会社の大きな発展につながるだろう。そんなふうな実感はある。

ただ、そこへのやりがいを失念している。

今、違和感を感じるのは「仲間」と「商材」だと思っている。
大前提素晴らしい環境で恵まれた人たちと仕事をすることができている。

ただ、今求めているのはきっと部活感。
同じ方向を向いて同じ目的に向かって手段を選ばず突き進む。

そこにはえげつない結束力がある。そんな組織や仲間。

そして商材。この商材を世に届けることにワクワクしない。
それが一番かもしれない。
市場にもちろん価値あるものを届けているのはわかっている。
ただ俺じゃなきゃいけない理由は難しい。この商材を俺が届ける理由が今正直見当たらない。

俺じゃなきゃよりも、俺がなぜこの商材を世の中に届けたいのかがわからない。
だからこそ、扱う商材への圧倒的自信ってとても重要であると感じる。

今、思い描く野望はそれくらい。

これが叶ったとしたら満足なんだと思う。
正直暇なんだこの仕事は。安定を求めるのであればこの仕事はとても素晴らしい。
福利厚生だって仕事の負荷だって。それに対しての給与は圧倒的に優れている。そこに対しての違和感や疑問は一切ない。

ただワクワクしないんだ。なんとなくこの仕事をし続けた先に自分が成長している未来が見えないんだ。
もっとワクワクしたいんだなきっと。人生に熱狂したんだよな。

生きる術はいくらだってある。
この働き方で副業をするのだって1つの手段だ。
でも、今求めているのはお金じゃなくってやりがいワクワク感なんだ。

だって今たとえば実家に住んでいたとしたら減給してでもやりたいワクワクすることをやりたいって心から思う。

今は生きるために必要だから簡単に離れられないだけなんだ。きっと。

それがまた面白い。これがマジの本心だよ。
さあ現実を動かせ俺。口はよう動く。現実を変えなきゃ!副業だやるべきは!頑張れ!頑張れもっとやれ!

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