スウェットロッジでの死と再生の経験
サマリー
スウェットロッジは、理性と感性のバランスを取り戻すための儀式です。
儀式は、死と再生、自己変容(トランジション)の物語です。
私は、スウェットロッジの中で妻をはじめとする他者とのつながりが深まり、少しオープンで柔らかい自己に生まれ変わったような気がしています。
大切な人たちにも、ぜひ体験してみて欲しいと思います。
スウェットロッジとは
ネイティブアメリカンによる儀式です。
端的に表現すると、スウェット(汗)をかくためのロッジ(テント)に入ることです。ロッジの中には焼け石があり、そこへ水をかけることで暑い蒸気を充満させます。
物理的には、テントサウナのイメージに近いです。
ただし、あらゆる経験が、サウナとスウェットロッジとでは全く違うことは、強調しておきたいです。
私が経験した「ラコタ族」のスウェットロッジでは、死と再生の経験を通じて、理性と感性のバランスをとるものだったと理解しています。
詳細を知りたい方は、wikipediaをご覧ください。
背景にある考え方
ラコタ族は、豊かな自然の中で、割り切れない現象や出来事を受け止めながら生きてきたそうです。
ラコタ族の祈りの対象が「先祖代々の叡智、偉大なる神秘」であることに表れているかもしれません。
神秘的な大自然に対して畏怖の念を持っているマインドは、日本古来の考え方に近い印象です。
また、ラコタ族は、その偉大な自然とともに生きてきた叡智(先祖代々が蓄積してきた知見)にも敬意を払い、祈りを捧げます。
自然現象は、人間の力で変えられるものではありません。
自然の中で生きると、思い通りにいかない、割り切れないことが起こるでしょう。
サンダーストームが来たら、成り行きを受け止める覚悟を持って、過ぎ去るのを待つしかありません。
そうした経験と知見が、叡智です。
自然と同様に受け止めるしかない神秘性が一人一人の人間にもあると、ラコタ族は考えるようです。
例えば、生まれつきの特性として、溢れんばかりのエネルギーや暴力性を持つ人間も存在するでしょう。
そんな人も、「おとな」になるにつれて理性を身につけ、社会へ適合していきます。
この理性の力によって、個々人の特性、「自然な姿」は、わきに追いやられます。
社会生活を営む上で「おとな」としての分別を獲得することは重要です。
しかし、度が過ぎると、無意識のうちに「自然な姿」を目指す感性の力が、理性の力で押し込められてしまいます。
ラコタ族は、バランスを大切にします。
戦いと平和、動と静、そして、理性と感性。
理性の力で、静かに、平和的に解決をしているだけでは対処できない問題も、たしかにあります。
スウェットロッジは、バランスを崩した理性と感性を整える場所だと言えます。
儀式としてのスウェットロッジ
儀式は、死と再生を通じた自己変容(トランジション)を経験するために行われると聞きました。
スウェットロッジと呼ばれるテントは子宮の象徴で、その中に入って出てくる行為は、まさに生まれ変わりを感じさせます。
スウェットロッジは、商業的なサウナでの体験と異なり、水風呂や外気浴(休憩)は一切ありません。
数時間、ずっとロッジの中で蒸されます。
その中で、「陣痛」に相当するような辛い体験もありました。
現実世界と隔離された子宮の内側で、ときに陣痛のような体験をする中で、理性が溶け落ちて、普段はわきに追いやられている「自然な姿」が出てきます。
この「自然な姿」を認識したうえで、これまでの自分と統合する中で、自己をアップデートします。
これまでの自分は死んだ(終わった)ことにするから、アップデートされた自己を「始める」ことができるのでしょう。
これが死と再生の意味するところなのかもしれません。
スウェットロッジで経験したこと
スウェットロッジの一般論は以上です。
ここからは、自身が経験したことを記します。
儀式は4つのパートに分かれていましたので、パートごとに振り返ります。
パート1:嘘くさい自由
サウナとは比較にならない暑さの蒸気が充満する中、ラコタ族の歌を合唱しました。
歌詞が分からないものの、「なんとなく」で歌う間に、一緒にロッジへ入った人たちとの一体感が出てきました。
また、テンションが上がることで、暑い蒸気(第一の陣痛)に耐えることができました。
テンションが上がる中で、「俺は自由だ!」というポジティブな気持ちが全開になりました。
音楽のライブで爆上がりしている時のような高揚感から、「俺は無敵だ!」という気持ちもありました。
でも次第に、「自分は強がっているだけではないか?」と疑問に思えてきました。
どこか嘘くさい感じがしました。
パート2:妻と、すべてと、つながる
「いまここ」で感じていることを、言葉にします。
そして、叡智と神秘に教えを乞い、祈ります。
自分の順番が来た時に、問題が起きました。
自身の吐き出す言葉が、嘘くさい、本質的でない気がするのです。
理性で、左脳で、言語化しようとしているから、うまくいかないのです。
「感じてることとは違う」と、自分の感性がアラートを上げます。
でも、大丈夫でした。
蒸気に蒸されるうちに、思考能力や理性が自然とはたらかなくなりました。
そして、無邪気で身勝手な自分が、「自然な姿」として立ち現れました。
周囲に配慮せず、寝転がろうとする。
腰やお腹が痛いから、もたれかかろうとする。
自然な振る舞いをする中で、他者の願いや祈りが、自分の中に染み込んでくる感覚が出てきました。
他者への共感を超えて、自身の痛みとして、泣けてくる。
一体感がある。
仲間意識というレベルではなく、自分と他者を分つものがなく「つながっている」感じがしました。
この感覚は、他者だけでなく、自身の腹痛にもありました。
痛みから逃げない方が楽だとインストラクターから聞いていたのですが、
たしかに、「腹痛の中へ入っていく感覚」に集中した方が楽でした。
自身の一部だったはずの腹痛が、「全て」になる。
また、自身の腹痛が仲間たちと共有され、「全て」の中に分散されるイメージもありました。
自分一人が腹痛を抱え、背負っているわけではない。
分散されることで、和らぐような気がしました。
「大いなるナニカ」とつながっているような、むしろ自分自身も「大いなるナニカ」であるかのような、完全にスピリチュアルな状態の中、スウェットロッジ内に妻がいるように思えてきました。
腹痛を気遣って伸ばしてくれた仲間の手が、妻の手であるように思えたのです。
別のところからも、妻の手が出てきました。
自身の両サイドに、ここにはいないはずの妻の手がある。
ロッジの中は完全に闇なので、誰がどこにいるか見えない。
だから、ロッジ内の全体が、妻であってもおかしくないような。
そう思ったら、すごく悲しくなってきました。
妻とは、こんな形でつながっていただろうか?
無邪気で、だらしがない一面があることを、自分では認識できていなかった。
やるべきタスクをきっちりこなそうとする「任務遂行モード」で現実世界を生きている。
そんな魂のこもっていない人間と一緒にいることは、とても寂しいことではないだろうか?
「任務遂行モード」も必要だけど、時には「自然な姿」で振る舞い、つながることが大切だと今は感じます。
ロッジの中で妻へひとしきり謝った後、反転して笑えてきました。
ここで経験したこと、得たものは、ここから出た後すぐに活かせる。
今まで生きてきた35年よりも、この先の人生は長い。
だから、十分に挽回できるし、今よりもっと幸せになれる。
そう思うと、笑いが止まらなくなったのです。
思考能力が及ばない領域へ完全に達していました。
パート3:すべてに対する感謝
この時間は、ロッジ内の蒸気が和らいでいて、リラクシングな時間でした。
パイプからタバコの煙を吸い込んで、吐き出します。
私は、つながることのできた「全体」に対する感謝の気持ちを、煙に乗せました。
パート4:非言語の感情表現
最後のパートです。
二度目の「陣痛」を経験した後に、ロッジの外へ生まれることになります。
最後の仕上げといわんばかりに、大量の焼け石が運び込まれました。
生まれる前に、感謝の祈りを捧げます。
私は、「感謝の気持ちを言語化しない」ことを心がけました。
自分には、無邪気でだらしなく、ちゃんとしていない一面がある。
言葉にしきれない感情は、無理に言語化しなくても良い。むしろ、しない方が良い時もある。
パート2で得た気付きを活かすために、非言語で表現することを厭わないことが大切だと感じたからです。
だから、叫びのような呪文のような、「テキトーな発声」により、感謝の気持ちを表現しました。
各々が感謝や祈りの言葉を発する中、インストラクターがラコタ族の歌を歌い始めました。
ロッジ内の一体感とテンションが高まった頃に、焼け石へ水が投入されます。
今までに感じたことがないくらいの暑さを経験しました。
陣痛って、生まれる側も辛いのだろうか?
スタッフから、赤ちゃんのように保護されながら、ロッジの外へ出ます。
ロッジから出てきた時には、フラフラになっていました。
でも、「新しい人生が始まったな」という爽快感がありました。
スウェットロッジで得たもの
自分にも他者にも、優しくなるためのヒントが得られました。
常にちゃんとしている必要はない
気持ちが乗らない時、助けが必要な時は、それを表現する自由がある
表現する時は、論理的な言葉に変換しなくても良い場合がある
他者に対しても、言語化することを求めてはいけない場合がある
言語化しようと中で、消えてしまう感情、無視されてしまう気持ちがある
感情を自由に表現することで、自身や他者とつながりを深めることができる
感情表現の結果として他者から助けが得られたら、素直に喜んで感謝する
ロッジをともにした仲間も、貴重な財産です。
一泊二日を一緒に過ごしただけなのに、不思議な帰属意識が芽生えました。
まとめ
スウェットロッジという儀式のフォーマットを借りて、自己変容(トランジション)を経験しました。
経験を通じて感じることは、タイミングや一緒に入るメンバーによって異なようで、毎年恒例の習慣としてスウェットロッジに参加する人に出会いました。
毎年参加する人の気持ち、よく分かる気がします。
私もきっとまた参加するでしょう。
その時までに何が蓄積されて、どう自分が変わっていくのか、楽しみです。
また、大切な人たちにも体験してみてほしいと思います。
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