ニンジンの消費期限

下りのエスカレーターに乗っている。ふと、目の前のスーツ姿の男に足の裏を当ててみる。思い切り。男はバランスを崩し、私の前からどんどん遠ざかる。勢いが余って男の後を追いそうになった足を引っ込めて、進行方向と逆向きの力を発動する。男の前にいた、白髪混じりの男も巻き込まれて落ちていくのが見える。衝撃音が響き、対照に静まり返る人々。さっき目に入った白髪頭は消え、赤黒く染髪された毒毒しい頭に代わっていた。右手がドクドクと脈を速め、携帯が滑り落ちそうになる。男たちの顔がどんどん近づき、ホームからは電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえる。この肉塊を超えて何もなかったかのような顔をして、電車を待つ人間ごっこをしよう、と思い。思い切り、飛んでみようかな。白線の上しか歩けないの私は。黒いとこ踏んだら負けなの、お願いが叶わなくなっちゃうからね。宙に浮いた身体は止まることを知らず、道なき道へ足が伸びる。恐らく最後に目に入ったものは鉄の塊から発せられる人工的な光で、パトラッシュもう疲れたよ、という声が聞こえる。あそこで上から射してる光は多分天国への道標で、あれ、なんかちょっと違うなって思う。なんか鈍い音がしたけど不思議と痛みはなく、ゴリゴリって、あー、この前大量に余った人参をどうにか消費しようとして、無理やり作ったキャロットケーキだ。あいつになろうとして、すり下ろされた人参。が頭に浮かんだ。私の身体は汚えおっさんの赤黒い液体とは違って、鮮やかなオレンジだったんだ、まあキャロットケーキは美味しくなかった。海外の家庭ではこれがおやつとして当たり前に出されるらしい。見た目が可愛くても、あれ作るの面倒だし。人参すり下ろすのって意外と大変だし。あーあ。

と、これから精神科に、いかにも悲劇のヒロインですみたいな顔して薬をもらいにいく女子高生、が主人公の小説の書き出し、から連想されるような表情でホームで電車を待つ、女の子が目に入った。近くにはこれから会社に向かうのであろうくたびれたサラリーマンたち。携帯を見つめる人間たちの中、電車のないホームを見つめる彼女だけが異様に感じる。どこかで見たことがある気がしたけど、その理由が憂鬱そうな顔なのか、同じようなリボンでラッピングされた格好なのか。はたまた私の勘違いなのか、どれもピンとこなかった。

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