21歳になりました

週に一、二回映画館を訪れるが、家で見る映画とは、当たり前にわけが違うなと思う。なんでこんなに違うんだろうと考えると、やっぱり映画館という特異な空間が原因なのだろう。
映画館って不思議でしょう。大きなスクリーンのある部屋で、名前も知らない人たちがいて、でもその人たちはこの映像を見る、っていう同じ目的で隣に座るんだよ、よくよく考えと意味がわからないんだ。しかし、座ってから約二時間の時を共に過ごし、この部屋を出るときにはなんか戦友みたいになるでしょう。難しい映画の後なんて特にそうだと思う。難解な映画、解釈を受け手の想像に自由に委ねるもの、自分の過去をフラッシュバックさせるもの。前を歩いている、名前も知らない人をとっ捕まえて感想を語り合いたくなる日もあるでしょ。行動に移したことはないけど。そういう気持ちにさせる空間ってまじで意味がわからないと思うんだよね。仮に自分が突然知らない人に話しかけられたら怖いし普通に。でも映画館を出る時にこう思ってる人って、さっきも書いた通り、少なからずいると思うんだよね。話しかけて良い?話しかけていい映画館になったら良いなと思ってる。

今日、映画館で映画を見たよ。映画を見てると、時間があっという間にすぎて、気が楽なんだ。今流れてる映像を追いかけて、その内容に没頭していればいいから、楽なの、身を委ねられるから、心地いいと思う。
だって映画が終わってしまったら、電車にのって、家に帰って、ご飯を考えてお風呂に入って歯を磨くでしょ、もう慣れた日常の反復も、私にはすごいエネルギーが必要で、布団に入って眠りにつくという、その簡単に見える行為すら苦しくて仕方ないんだよ。考えることとやらなくちゃいけないことがいっぱいあって、それを一つ一つ、順序立ててこなすことが出来ない。できる人がいるのはわかるし、出来ない人を理解しようとしない人がいるのも、わかる。別に理解しなくても良いことだと思う。でも、みんな当たり前にやっていることでしょ。だから、自分はそれが出来なくて苦しい。ご飯を食べることすらまともにできなくて、自分が何を食べたいのかもわからないの。でも、映画は、選べるの。これが見たいな、とか、こういう話の映画見よう!とか。選んだ映画を見ると、物語が始まって、その内容について考える。心情を、セリフ以外のことで表すこともできるし、こっちはそれを想像できる。今考えることを教えてくれるんです。そういう選択がすんなりできる、数少ないものの一つが映画です。映画があって本当に良かった。それを作り続ける人たちがいてくれて、ほんとうに嬉しい。できるなら、私も関わりたいって、思ってる。つらいけど。でもこれを諦めたら、私は本当に何も出来なくなると思う。起き上がれないし、眠らないし、死んでしまうんだろうなと思うから、頑張って映画にしがみつかせていただいています。いわば命がけなんだよねこういう環境にいること自体が。私が人間でいられるのって映画のおかげなんだよね本当に。最近映画の世界は暗いニュースが多くて、悲しい。多分私はこのままだと破滅するから、映画以外にももっとたくさん好きなものを増やしたいなとも、思っている。依存先を増やすことが、自立だと思う。なんかの本読んで、そういう知識を得ました。


去年の終わりから、書き続けていることが一つある。たまには気分転換で他のことを書いてみようかなと思っていたけれども、やっぱり映画の内容になってしまうのだ。

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