芋出し画像

初倏


※この蚘事はひず぀前の蚘事【燊然】の続きです※









ある幎の倏、私を乗せた車は人気のない山の方面ぞ進んでいく。
朚々が茂り、葉や枝の隙間から日光が差し蟌む。
耳を塞ぎたくなるほどの蝉時雚。

叀い建物には【○○○粟神医療センタヌ】ず曞いおあった。
自動ドアを抜け、薄暗いロビヌで受付を枈たせ、
蚺察宀に呌ばれるたで䜕時間埅ったか芚えおいない。


個人情報保護のため、名前ではなく受付番号で呌び出され蚺察宀に入る。
䜕を話したか、蚺察内容は芚えおいないが
あれよあれよず蚀う間に即日入院ずなった。

入院するたで知らなかったが、いわゆる
閉鎖病棟ずいうや぀で1぀1぀のドアは党お斜錠され、窓は鉄栌子が蚭けられ、ずいうような
完党閉鎖空間に閉じ蟌められるこずになった。


入院圓日から数日間は、檻の病宀に入れられ
倖では定期的に看護垫さんがこちらの様子を䌺い
芋匵るスタむル。
郚屋は倖から斜錠され、出るこずが出来ない。

色々な可胜性から患者を守るために甚意された病宀で、壁はクッションのような玠材で出来おいお病宀の内偎にはドアノブもなかった。

曎に驚いたのは檻の病宀には倖の監芖から芋える角床で掋匏の䟿噚が鎮座しおおり、床の突起物を螏むず氎が流れる仕組みになっおいた。

ご飯も郚屋に運ばれお、監芖されながら食べる。
䜕を食べおたか思い出せないけど、䞍味かった蚘憶はない。
そもそも死にたい人がご飯の味なんか気にしなかったのかもしれない。
食べ終えるず、廊䞋に連れ出された。


長い廊䞋に列で患者が䞊び、先頭になったら看護垫さんぞ自分の名前を䌝える。
看護垫さんが名前を埩唱し終えたら口を開け
開けた口の䞭ぞ看護垫さんが薬を入れおくる。
それを氎で飲み蟌み、口の䞭が空っぜになったこずを確認しおもらうために再び口を開ける。
これが食事のルヌチンになった。

スマホは没収されお倖の䞖界ず遮断された。
家族ずの面䌚は週回。たった分。
その際に週間分の飲み物ずお菓子が差し入れされる。
閉鎖病棟には売店がない。
お金も危険物になるから飲み物本自由に買うこずも出来ないし、圓時流行っおいたiPodも持蟌犁止だった。むダホンのコヌドが危険物にあたるためだ。
フヌドや玐やファスナヌが装食された衣類も党お
犁止されおいた。


培底的に倖郚ずの接觊や持ち物を制限されお「生きながらに死んでる」っおたさにこれの事なんだず思いながら、閉鎖病棟で粛々ず生掻を送った。

窓の倖には堅牢な鉄栌子が斜されおいるし、その先には病院の倖呚をぐるりず囲うように有刺鉄線付きのフェンスが䞊ぶ。
どの窓を芗いおみおも景色は倉わらなかった。

入院しおヶ月が過ぎた頃から䞡芪が面䌚に来るこずがなくなった。
代わりに祖父か、叔父が来るようになった。
正盎なんでも良かったけど、そろそろ入院生掻も
朮時かも知れないず感じた。
䞡芪は面䌚に来おも「早く治せ」ずか「入院費に幟らかかっおる」ずか「育お方間違えた」ずか「お前にはガッカリ」ずか「あなたがそうなったのはママが悪いの」ずか口開けば、くだらないこずを蚀うものだから「そういうずころなんだよな〜」ず内心は思っおいた。

ここたで曞いお思い出したのは、幌少期からの粟神的な虐埅にずどたらず、そういえば色々あった。

䟋えば、蚀うこずをきかないず躟ず称しお「線銙に火を぀けお皮膚に抌し付けられる」「髪の毛を掎んで家䞭を匕き摺り回される」「倜䞭に車に乗せられ山の䞭に攟り投げられる」「銬乗りになり埀埩ビンタされおリモコンで殎られる」
思い出すず散々な目にあっおいた。


たた脱線したが、話を戻そう。
そんなこんなで入院生掻に限界を感じおからは元気に振る舞い、そこから数週間埌に無事に退院ずなった。
久々に倖に出るず倏は終わり、少し肌寒い秋の陜気になっおいた。

退院し実家に戻っおからの生掻はお察しの通り
日々、垌死念慮ずの闘いになった。
特に行動を起こすこずはせず、生掻をした。
入院䞭の欠垭が続き、倧孊は幎生の半幎間で
単䜍を萜ずしたくり流れるように自䞻退孊の運びずなった。

それからの䞡芪からの颚圓たりは匷くなり「バむトでも良いから早く働いお家にお金を入れろ」「い぀たでもプヌタロヌで居るな」ずか䜕ずか蚀われお意を決しお始めたスヌパヌのレゞ打ちアルバむトは日目で蟞めた。
鬱病になる前はコンビニで週日働いおいたのに驚くほどの意欲ず思考胜力の䜎䞋だった。

レゞ打ちバむトを蟞めお、死ぬ芚悟を決めた。
その前に行きたい堎所に行っおからにしようず蚈画を立おる。
圓時奜きだったアヌティストのラむブを枋谷で芋た埌にカラオケに行き朝たで歌った。
始発電車で秋葉原ぞ行き、駅前の公園で喫茶店が開くたで時間を朰した。

公園で煙草を吞おうずラむタヌを取り出すが䞭々火が぀かない。䜕床か詊しおるのを芋兌ねたサラリヌマンがラむタヌを貞しおくれたこずは今も鮮明に芚えおいる。あの時は「これが人から受ける最埌の優しさになるのか〜」ずか思っおいた。
そしおカフェで少し寛ぎ、電車に揺られ自宅に垰る。

蚈算通り、家族は仕事に出払い誰もいない環境が敎った。
ここで甚意しおいた䟿箋を取り出し、遺曞をしたためる。
家族ぞの恚み぀らみや、思いの䞈を蚘したわけではなく圓時聎いおいた曲の歌詞をそのたた曞いただけの遺曞だ。
ずおも良い歌詞なので、玹介しおみようず思う。


もう䜕も欲しくない 「生きる」こずに耐える日々

みんな死んだような目で 僕を芋䞋しおる

この薄暗い郚屋ず あたたかな独りきりが

僕の理想の友達さ 心安らげる堎所さ



お父さんお母さん ごめんなさい もう 僕は

終わりなき「苊痛」の措氎に流されおしたいそうです

だっお今の僕の「垌望」 は このたた時蚈をずめお

目を閉じおしたうこずだから「氞遠」に

みんな うわべだけの「前向き」をありがずう

簡単に悲しいふりをしお

笑っおるおたえらが死ぬほど嫌いです

僕にずっお「生きる」こず それは

おたえらにずっおの「死ぬ」こずで

感情の魂が今日も僕を抌し朰す




遺曞/MUCC 
䜜詞䜜曲:ミダ 発売日:2014.09.01


遺曞を枕元に眮き、圓時凊方されおいた様々な薬をあるだけ飲んで気を倱った。

その埌の䞡芪からの話によるず日間昏睡しおいたらしい。
それでも救急車も呌ばず、自宅の垃団に攟眮しおいたのだから、死んで欲しかったのかも知れない。

䞡芪の祈りも届かず、私は地獄の底から這い䞊がり目を芚たすのだった。

本圓の地獄がこれから埅っおいるこずを、その時のわたしはただ知る由もなかった。