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距離

人が人を好きになるのにはいろんな要素がある。
些細なきっかけで、人は人を好きになる。
これが、一般人や有名人など括る必要もなく、
好きになるきっかけなんて様々だ。

因みに私は推しの笑った顔が好きだ。
笑った時に垂れ目になるところと、八重歯。
これらは特筆する点だ。
その他の部分が大好きであるということは大前提として、笑顔と八重歯にフィーチャーしている。


何を好きになるか、誰を好きになるかは個人の自由だし、応援の方法も色々な考え方があると思う。

何よりもイベントに参加してメンバーに認知してもらうことを重視する人。
グッズやCDを沢山買うことで応援する人。
ファンレターやDMで応援する気持ちを伝える人。
YouTubeを沢山みて再生数を伸ばしたり、スパチャやコメントで応援する人、聖地巡礼する人。
全国津々浦々、追っかけをする人。


どれも応援の方法として間違っていないと思う。
嫌なのは、周りに迷惑をかける人だろう。

状況を見ずに推しを追いかけ回したり、他のお客さんに迷惑をかけたり、スタッフさんや関係者の手を煩わせたり、相手のことを思いやることのできない人がいると、それはストレスになる。

推し事を自分が楽しむために、好き勝手に騒いでるようではいけない。この瞬間の自分の行動、発言って巡り巡って推しに迷惑を掛けたり、推しを傷付けたりしないか。とか、推しが困ることをしてないか。必ず立ち止まって考えなければいけない。好きになればなるほど、立ち止まって考える頻度は多くなる。

それ故に推し事が楽しいだけのものではなくなる。
目につく色々な嫌なこと、聞きたくない情報も入ってくる。それに対して周りと同じになってお気持ちを表明したり、ファン同士で争う必要はない。
そんな時間はない。コストを払う相手が違う。
一体どの方向を向いて推し事をしているのか。
ファン同士の馴れ合いや自己顕示欲を満たすために
推しを利用するのか?それなら、やめておけ。

最近は徐々にXから離れ、その役割をThreadsに置換している。
Threadsにも私が書いているように
「推し事をするには気力も時間もお金も使う。綺麗事だけでは続けられない。勝負に出ることも、選択を迫られることもある。どれだけ腹を括れるか。」

自分のお気持ちは二の次で、先ずは推し。

推しが活動を続けていく障害になる可能性を孕むものを、そっと拭いとることもファンの大切な役割だと、私は思っている。そこに団結力など無くても構わない。

誰も傷付けないように、不快な気持ちになる人が居ないように。これはとても綺麗事だけど、粛々と個人が水面下で動いてる場合、これが完全に個人であることが前提だとしたら、誰も水面下の動きを察する事はできないのだ。