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出雲王朝の葬儀

 前期から中期にかけては、王家の当主がが亡くなると風葬にされた。
それは最高の葬儀の方法だそうだ。
明治の頃まで風葬は残ったらしい。庶民は土葬なのかな?

 古代は、ご遺体を葬る前に遠方より親類などに死顔を拝ませる葬狩(モガリ)の習慣があった為、当主が亡くなると葬狩に備えご遺体の腐敗処理がなされた。(現在の天皇家のモガリたはちょっと違う)

 口に漏斗を差し入れ朱(水銀)を流し込む方法で、朱は肺や胃腸を通り、毛細血管から全ての細胞に染み渡る。
 (朱は毒にも薬もなる重宝するブツ)
数ヶ月は腐らず、死臭すら発生しなかったらしい。
 因みに数年前、インドの山奥にこの風習が残っている事をテレビで見て驚いた。矢張り共通点があり過ぎる。
王でなくその家の年長者だった。

 現代の我々も普段から添加物を取り込み腐敗しにくいらしい。最早、朱は不要だわ。

 右か左か?王宮横の仮小屋で長期間に渡り葬狩が行われ【各地】の親戚や豪族が弔問した。
 葬狩が終わるとご遺体は立膝で座る姿勢にされ大きい二重の竹篭に収められたそうだ。

 死後硬直した体を変えられるなんてすごいな。
本当かな?と、疑り深さが顔を出す。

 富家の場合は、天宮山に神輿に乗せられ頂上付近のヒノキの大木の茂みに隠された。

 その木にはしめ縄が巻かれ紙垂が付けられ高い柵で囲まれた。それは神籬ヒモロギ【霊隠木】と呼ばれた。

神魂神社にある神籬
角度を変えた神籬

 古代の神籬を再現。神魂神社に来る度、この見たこともない物は何?…と思っていた。

 よく、この奥の穴みたいな所を拝んでる人を見かけた。女性の宮司さん(秋上家の方)は、何も無いのにね〜とおっしゃってた…

 3年後、篭から出され洗骨された後頂上付近の磐座と呼ばれる大岩の脇に埋葬された。

 古代は死は穢れだそうだ。なので、わざわざ拝み墓を作り参る。

 西出雲王家はどこだろう。
鼻高山だろうか?西出雲王家の末裔の方々が移動した先々には猿田彦大神が祀られている事が多いので、そう思いたいだけかも知れない。

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