IDOLiSH7はタイトルから怖かった

※日を開けて書いていたら何を書こうとしていたか忘れて、結論がブレブレになりました。ご了承ください。

目次
①偶像とは
②神仏の素質
③それぞれの相違点
④偶像たちの幸せ
⑤予想し得る未来

①偶像とは

idolとは偶像、という意味である。
偶像とは「神仏にかたどって作った像」。つまり、偶像は神仏に近付けるものなのである。

これをコンテンツ「アイドリッシュセブン」にあてはめてみよう
神仏=ゼロ、偶像=16人のアイドルたち。アイドルたちをゼロに近付かせたい。それは世論というものの意思だろうか。

②神仏の素質

まず、九条鷹匡を偶像職人とする。
神仏はゼロであろう。
偶像は千、天、悠、理だ。
千は「偶像になることを拒否し、別物になった偶像」。悠は「作り方を間違えたから神仏に似なかった」とする。つまり2人とも素質は神仏である。

アイドリッシュセブンにはもう1人、神仏に近い偶像がいる。もちろん七瀬陸のことだ。偶像職人は和泉一織。彼は最も七瀬陸の訴求力に影響を受けている人物、かつ2匹目のモンスターである。
とはいえ、七瀬陸が神仏に近付いているのは専ら自分のせいである。世間と和泉一織を訴求力で突き動かし、望まぬとも自らを神仏へと近付けた。これは彼が神仏となる素質を持っている、と言えるだろう。(そもそも九条鷹匡はそうして神仏となった(なる前の)ゼロと出会ったのではないだろうか?)

③それぞれの相違点

さて、この"偶像"たちにはそれぞれに大きく、かつ特徴的な相違点がある。
千は前述の通り「自らで別物の偶像になった」こと。天は「自身が偶像であることを理解し、自ら神仏になろうとしている」こと。悠は「神仏になるつもりだったのに、途中で捨てられた」こと。理は「自らが予備であることを理解しつつも、神仏になる用意をしてある」こと。

陸は「誰にも望まれぬまま神仏になろうとしている」こと。

④偶像たちの幸せ

偶像を神仏に近付けたい、という想いは偶像職人の願いであり、偶像たちの願いではない。
果たして、神仏になって代わることは偶像にとって幸せな事なのだろうか。 
千が、天が、悠が、ゼロになることが望みだと言ったことがあっただろうか。というかアイドルの中で三月以外がゼロに憧れている、という描写はほとんどない。

千と悠が神仏となることはまずないだろう。職人の手から離れ、別の道を進んでいるから。
天は自らの望みではないにも関わらず、神仏になろうとしている。理もしかり。
陸はゼロという名の神仏よりも、新たな神仏への道を暴走している。

陸と天。違う環境下で同じものになろうとしている。やはりアイドリッシュセブンは"血は水よりも濃い"を表すゲームである。

⑤予想し得る未来

いつか九条鷹匡が暴走し、天が一気に神仏へ登り詰めさせられる時が来たら。それを覚ますのは、一度九条鷹匡から逃れた悠だろう。
同じ職人の元で違うように作成された偶像は、内面も外見も他のものより知っている。所詮同じ職人が作りあげた作品なのだから。

その点、七瀬陸と和泉一織の暴走は誰が止めるのか。誰が止められるのか。幸か不幸か、2人とも作り物ではない。
きっと七瀬陸を止めるのは九条天だろう。"血は水よりも濃い"。Mr.AFFECTiONが未来の暗示なのだとしたら、"水"に沈んだ陸を引き上げられるのは"血"で繋がっている天以外いない。それに、彼は水から這い上がった者だ。適任だろう。

ただ、和泉一織はどうなるのか。作り物の偶像でも水に沈んでもいない。人格を作りあげた、という意味では三月が同じ環境だが偶像造りとは訳が違う。

もしかすると、本当のモンスターは誰にも止められない和泉一織ではないか。
七瀬陸の影響を受けすぎた、可哀想なモンスター。IDOLiSH7。偶像星願。彼らが7人ともモンスターにも神仏にもならず、偶像に留まってくれることを心から願っている。

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