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人と踊り

嬉しい気分のまま書いています。

3月1日、日曜日です。今日は今週末の大学のダンスパフォーマンスに向けて、10時から全体稽古とその後にサルサのリハーサルでした。

私は、高校生の時の留学と、大学での留学はどう違うのかと来る前に気になっていました。高校生の時は、クラスメイト総出での留学。ホームステイ。細かなプログラム。色々なスケジュールや、日本人ためのカリキュラムが組まれていました。1人1家庭のホームステイなので毎日現地の家族と過ごします。一方現在は、自分で書類を用意し、手続きをし、授業を決め、寮で暮らしています。(私は運良くなぜか一人部屋なのです。)

ホームステイの時は、悩んだらその家族と話す、日本人の友達とカフェで語り尽くす、など小出しに物事を解決できる環境でした。しかし今は自分が悩んでも変に言えば誰にも迷惑をかけないわけです。ということは、悩めば悩み続けることができてしまう環境でもあります。

私は悩みが多いわけでは無いのですが、考えると止まらなくなることがあります。通常運転だと超ポジティブですが、ある期間どうした!というくらい沈むことがあります。笑 でも友達に迷惑はかけたく無いし、弱いところを見せたくないという変なプライドが邪魔し、一人で結局考えてしまう!

そんな沈み時期が2月にありました。日々あったちょっとしたことを話せる人がいない、日本の友達に電話をしても、物理的な距離がものすごく寂しくなったり。

それを助けてくれたのはやはり人。そして踊り。ありがたいことに大学のオーディションを受けてパフォーマンスに参加しているのですが、はじめはもちろん誰も知らなくて、指示を聞くので精一杯でした。しかし踊りってすごい。いや、好きなことの力なのかな? 好きなことを共有していると、自分が自分に戻って来る。硬い壁の中にいても、踊ってその空気を共有していると本来の自分のままでいられるんです。

それをものすごく感じた日でした。無理に話してうすい会話をするのもなんか嫌でいつもやるべきことだけやって、潔く帰る、というかんじでした。しかし今日は、みんなで練習している間も、自分がいつもの自分でいることができた。するとまわりのみんなとも自然と打ち解けた。そんな感覚がありました。なんて言ったらいいんだろう。

きっと私の気持ちの持ちよう、自分のその場の在り方なんだと思います。周りは、私のことを “違うもの” だともなんとも思っていなくて、私が勝手に自分は違うものなんだと思っていたのかも。だから最近思うことは、ここでの生活は、非日常と考えて自分にプレッシャーをかけるのではなく、ただ場所が違うだけで、いつも通りの自分の日常を過ごしたらいい、ということです。

高校生の時にプレッシャーをかけまくって沢山プッシュしまくって懸命にい生きたから。(ものすごくよかったと思う)今回は自分のペースで。笑

いやあいい日だった。まだお昼だけど。リハーサルが終わってもたくさん話して、日本の話もして、帰りにカフェラテを頼んで待っている時にたまたま私が一番発言できないクラス(本当にロボットみたいだと思う)で一緒の子が隣にいたから、そのままのテンションで話しかけたらまた会話が弾んだ。楽しい。ありのままでいいのよね。踊ると思い出す、あぁ、自分はこういう人間だったわ!って。笑

今までで一番まとまりのない文章ですが、落ち込んでた自分を踊りと人が助けてくれましたという話でした。

あと、舞台ってやっぱりいいなあ。幼稚園の頃から、フルートやダンス、やっていることは違っても、舞台に立ち続けたこと。自分の中で大きいもの、欠かせないものだったんだなと今日改めて気がつきました。ステージから見る観客席、照明で眩しい顔、0と1の境目の舞台袖、ワクワクとストレスの調和、現実との境目の舞台の際。国は違えど、全て懐かしく感じて、幕の存在が温かくて。

一日もその世界から離れずに生きている人からしたら、私なんかが何を言ってるんだと言われるかもしれないけど、、確かに舞台は私に必要なものだと知ることができました。さあどんな人生にしていこうか。


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