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言の葉〜

こんにちは!もやもや期脱出です。フゥ!

今日は、これから色々していこうと進めているものがあり、一緒にする友人と、電話で計画を進めました。日本は夜の24時、アメリカは朝の10時。

彼女はバイト先で出会った、一つ上のお姉さん。一つ上とは信じたくないくらい、素敵。思っていること、感じることを言葉にすらすら乗せて、複雑なことでも明確に一つ一つ丁寧な言葉で話します。話していていつも学ぶことが多いし、楽しい、、!私はというと、言葉がまとまらず、頭で考えたことがそのままダダダダ漏れれれれれという感じですいつも。笑 

沢山感想があるのに、自分から出る言葉はものすごく陳腐…そんな時も優しくまとめてくれたり、聞いてくれます、ありがたや。

私はこうやって文章を書いたり、言葉にできない感情を絵に描いて、自分の心と一致するものを探したりするけど、、会話をしていてうまく言えなくてもどかしいことが多くあります…考えてから話すのではなく、言葉を口にしてから、自分の脳みそでもう一度それを拾って理解する、とか相手にそういうこと?とまとめてもらうことが多々。本当はもっと感動しているのに、それに相当する言葉を知らない!とか…

アメリカ行きの飛行機でたまたま再生ボタンを押した椎名林檎のベストアルバムから、毎日聞くようになり詳しい友達に、この曲聞いた!とかかっこいい!といちいち報告をして、教えてもらったりして、どんどん沼にはまっている最中です。彼女の曲を聴いたり、歌詞を読んだりすると、考えていることがこんなにも言葉で表すことができるのか、と感動します。そしてそれを読み取る側の日本語力や知識も問われます…(あぁ…)知らない言葉が沢山あるし、私が聞きすごしている意味も数え切れないほどあるでしょう…。だけど、それを感覚で読み取ったり、それらの言葉の力だけで心を動かされている部分もあるんだろうなと思うと、言葉の力っておもしろいなと思います。それはそうと、曲を聞くうちに、本当の意味で理解したくなったり、表現の広さに羨ましくなったり、知識って必要だなと痛いほど感じます。

アメリカに来て、自分が日本人であるということを今まで以上に感じています。これは私の英語力の問題でもあるかもしれませんが、この繊細な感情を表せるのは日本語にしかないのかもなぁと思ったり。逆に日本語に囲まれて育ったからこういう感情が生まれたのかな?とか。高校生の時、国語の授業で読んだ谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」は、なんの知識もない自分にものすごく響いて初めて、日本語ってやばい。(ほら、これも他にいい言葉があるでしょう絶対。泣)と思い、本屋に走ったのを思い出します。アメリカにも連れて来ました。

奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。 

ああ美しい。

羨ましい。

私も “美しい!” と感じたものを、“こう感じた!” ということを、聞き手読み手にこんな風に伝えられたら、と思う。

ということで、アメリカにいるにも関わらず、いや、アメリカにいるからこそ、日本への興味が一段と増しています。次ニューヨークに行く時、紀伊国屋で日本語の辞書を買います必ず。

誰かが書いた言葉に助けられることもあるし、自分のよくわからない感情が言葉として一致するものがあると知った時、なんともいえない幸福感と爽快感を覚えます。言葉って大事ね!!勉強せねば〜。

いつか言葉にできるようになることを楽しみに。

タイトルは星野源さん、Dead Leaf からお借りしました。(このアルバムのpresentという曲が好き。はぁぁぁ日本語…美しい)


(追記)

だからこそ、踊りや絵が好きなんやろうけどな!なるほど。


(余談)

日本が深夜3時の時、なんでかわからないんだけど、少し寂しくなるのよね〜不思議。と久しぶりに電話した母に言うと、

「日本は深夜でも、ニューヨークの綾部(さん)は起きてるよ〜」 

確かに。笑 寂しくないわ。




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