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元中卒引きこもりニートが100億円の会社をつくる話

1. はじめに

「好きな仲間と面白いことをして生きていく。そして人間には常に可能性があることを伝えていく。」

その想いを胸に、新卒から2年間働いたクックパッドを退職する決断をした。会社に不満があったわけでもなく、仕事も人も間違いなく最高の環境だった。それだけいい環境を手放してでも、僕にはどうしても成し遂げたいと思える夢ができてしまった。

9年前、自分の可能性すら信じることのできなかった、深夜2時の真っ暗で狭い一室のことをいつも思い出す。

2. 中卒引きこもりニート

僕は中卒引きこもりニートだった。

中高一貫校に入った僕は、体操部に入り勉強もほどほどにする、どこにでもいる中学生だった。体操では、昨日できなかった動きが急にできるようになることがある。全くわからなかった数学の問題が、問題を繰り返し解けば自然とできるようになる。こういった日々の成長の実感は、僕が健全な学校生活を過ごしていることを示していた。

しかし、その生活も長くは続かなかった。中2の夏、勉強も体操もパタリと辞め、僕の生活は変わり始めた。僕は学校に行かなくなってしまった。

中学校という大きな枠の中で見ると、生徒の個性の違いはあってないようなものだと思う。ましてや同じ試験を突破し、似ている家庭環境で育ってきた私立中学の生徒は、フィルターを通って抽出されたコーヒーのような均一さを感じた。この頃の僕は、想像できるありふれた日常ではなく、想像できない日常を追い求めていたのかもしれない。

僕が変わったのは、地元の先輩や友達と遊ぶようになってからだった。

彼らの人生は僕や学校の友達とはまるで違っていた。その違いは拒絶するべきものではなく、新鮮でおもしろいものだった。彼らはあまり学校に行っていなかったから、思春期の僕がその影響を受け、学校に行かなくなってしまったのは自然な流れだった。

学校に行かず、公園でくだらない話をする生活に飽きることはなかった。やることやお金がなくても、彼らといるだけで毎日が楽しかった。

彼らは学校にいる人とは違い、複雑な家庭環境の人が多かった。非行に走る人や、派手な見た目な人など、大人を敬遠させる要素を兼ね備えていた。しかし、普通の人との違いがあればあるほど、僕は彼らに引き寄せられていった。

そんな生活にも転機が訪れる。僕に彼女ができたのだ。

学校にも行かず、勉強もせず友達と遊んでいた僕の評判はすごく悪かった。あることないこと噂もされていた。その中で、彼女は偏見なく、自分を見てくれて好意を持ってくれた。育ちがよくて成績優秀な彼女と僕は周りから見れば不釣り合いなカップルに見られていたかもしれない。けれど僕は、周りの目を気にせずに「自分」を持っている彼女のことが好きだった。

そんな彼女との出会いは僕の生活をしゃきっとさせ、なんとか中学を卒業した。高校を辞めるまでは、あと半年だった。

3. 中卒引きこもりニート、ゲームにハマる

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高校入学を機に気持ち晴れやかに、学校に通いはじめることはなかった。

教科書に既に書いてあるものを黒板に写し、それをまたノートに書き写す。なんのことはない授業風景だが、その非効率さがしんどかったからだ。学校に夢中になれないこのとき、僕は自分の人生を変えるものに出会う。

ある日、弟の部屋から、乾いた銃声が「バンッバンッ」と二発聞こえてきた。FPS (一人称視点シューティング) ゲームをしていた弟は、オンライン上のフィールドで銃を持ち相手を撃っていた。

手を出してしまったのがいけなかった。面白く、ハマってしまった。自由に歩き回って敵に遭遇したら撃ち合う、それだけのことなのに夢中になる。最初は全然勝てずにずっと倒され続けているだけなのに、それでも面白かった。

あくる日も僕がいたのは、勉強机ではなくパソコンの中で、持っていたのはシャーペンではなく銃だった。家にいながらリアルタイムに世界中の人達と24時間プレイできることで、僕はずるずるとオンラインゲームの沼に引き込まれていった。

昼は学校に行かずオンラインゲームをし、夜も寝る間を惜しんでパソコンの前で過ごしていた。

eスポーツがスポーツと呼ばれる理由が僕にはわかる。ゲームを上達するためには、部活やスポーツと同じように練習することは当たり前だからだ。僕は上達を実感しながら、オンラインゲームに飽きることもなくやり続けた。

そして僕は高校を退学した。僕にとっての学校は高校ではなく、オンラインゲームになった。

ゲームに勝つためには本人のスキルはもちろん必要だ。けれどそれ以外にもパソコンの性能、インターネットの速度や安定性、OS の設定、マウスやキーボードなどのデバイス、それぞれがその人の「強さ」に関係する。

インターネットが不安定なことがわかればネットワークについて調べ、 不安定な原因となっていたルータを交換し、OS の設定を変更するために、Windows がどういう機能を持っているのか、その機能によってどう変わるのかを調べた。パソコンもそもそもどんな部品から構成されていて、それぞれがゲームに与える影響を調べた。

パソコンやネットワークの勉強は学校のそれとは違い、とても面白かった。

調べれば調べるほど、自分の理想のパソコンを構築したくなった。しかし、中卒引きこもりニートにそんな高価なものを買うお金はない。ましてや親が買い与えてくれるわけもない。そこで僕はパソコンを買うために、引越のアルバイトを始めた。

日給8,000円で期間は1ヶ月。学校に通うことを思えば、自分の欲しい物を買うためならばがんばれるだろうと高をくくっていた。しかし、これが本当にきつかった。

朝は5時半に起き、毎日怒号を浴びせられる。荷物は本当に重くて体中が筋肉痛になった。何度もやめてやろうと思ったが、パソコンのために必死に耐えた。

このとき、「働く」面白さを知り、引きこもりを辞め社会に出るようになるという筋書きにはならなかった。ゲーム用のパソコン一式を購入した後、即座に引っ越しのアルバイトを辞め、ひたすらにゲームを極める日々を過ごすようになった。

4. 中卒引きこもりニート、絶望する

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深夜2時。暗い部屋でずっとゲームをしていると時間の感覚がなくなる。

高校を辞めてから僕は、引きこもりニートになった。夢や希望などあるはずがない。19歳。周りの友人は大学に通い、自分だけが部屋に閉じこもっていた。

一通のメールが来た。メールを開けるとそこには「別れよう」の文字が。そう、僕はあのときの彼女とまだ付き合っていたのだ。というよりは付き合ってもらっていたが正しい。

不登校の時に彼女と出会い、僕は高校をすぐに退学し、引きこもりになった。付き合いはじめたときの不釣り合いな関係は、天秤が均等になることなく傾いたままだった。そんな彼女からついに別れようと言われた。振られて当たり前の状況に違いない。けれど、彼女がいることが当たり前だった僕は焦った。

そして絶望した。

その時初めて、彼女の立場になって考えることができた。僕が学校に行かなくても、高校を急に辞めても、引きこもっても、なにも言わなかった。でも、何も言わなかっただけであって、何も感じていないわけではなかったことに気付いた。色々な葛藤があっただろうし、僕の変化にすごく悩んでいたに違いなかった。

彼女が別れようと言うまで、僕が追い込んでしまっていたことに気付けなかった。自分が本当に情けなかった。

あの彼女が見放すほど、僕は人としてダメになってしまっていた。変わらないといけない。あれほど変わることが嫌だった僕には、彼女との別れは劇薬になった。

そして僕はこの日、「スーパーマン」になることを決意した。笑えるかもしれないけれど、中卒引きこもりニートの僕は、「スーパーマン」になろうと思った。

なんでも完ぺきにできる「スーパーマン」になって、再び彼女が振り向きたくなるような人間になることを決意した。

彼氏に別れを告げたら「スーパーマンになる」と言われたのは世界中でも彼女だけだと思う。マーベルのキャラクターでさえ、スーパーマンであることは彼女に明言しない。

そこから僕の人生の歯車がようやく回り始めた。

大学に行くことでしか現状を変えられる方法が思い浮かばなかった僕は、長く遠ざかっていた勉強を始めた。難しいしわからないし辛い。今までの僕なら簡単に諦めていたが、踏ん張る理由があった。

20歳の春、大学生となった。真っ暗な部屋に光が差し込んでくるのを感じた。

5. 中卒引きこもりニート、大学院に行く

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友達の作り方を必死に考えるようなやつに友達はできない。

大学に入学したとき、僕は友達をどう作ろうか必死に考えていた。同級生はほとんどが年下で、学校自体も5年ぶりなのだ。考えれば考えるほど焦りが出て悪循環だった。このとき、友達を作ることすら僕にとってはチャレンジになっていた。

僕はパソコンについて勉強ができる専修大学ネットワーク情報学部に入学した。

大学の授業は、これまで僕が学校で経験した授業とはまるで違っていた。オンラインゲームで勝つために独学で勉強していたことが体系的にまとめられていて、バラバラだった点と点の理解が線になって繋がっていった。引きこもりのときにのめり込んだことが学問として存在していることに感動した。

これなら面白い。

あの真っ暗な部屋で引きこもっていた経験が活き活きと眩しく輝きはじめ、僕は誇らしい気持ちになった。

学問としてのパソコンに夢中になった僕は、ぼんやりと研究者になりたいと思いはじめた。コンピュータやインターネットなどの全ての技術は先人たちの研究の結果である。技術を学べば学ぶほど、それらの技術を享受するユーザーよりも、技術を生み出す研究者という存在に憧れるようになっていた。

そして研究者になるべく僕は勉強を続け、慶應義塾大学理工学研究科への入学が認められた。

中卒引きこもりニートだった僕がここまで来た。着実にスーパーマンへと変わっている自分に言いようのない達成感を感じていた。自分の可能性を少しずつ信じられるようになってきたのはこの頃からだった。

引きこもっていたあのときから、4年が経っていた。

6. 中卒引きこもりニート、起業をする

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「何だってできるかもしれない。」

中卒引きこもりニートだった自分が、大学を卒業し、今では大学院で研究をしているのだ。自分の可能性は無限大にあるという考えを、恥ずかしげもなく持っていた。

エンジニアとしてアルバイトをしていた僕は、自分のウェブサイトでのサーバー運用に興味を持った。

これまでサーバーなんて全く触ったこともなかったため、ひとつひとつ意味を調べながらサーバーを構築していった。初めて自分で作ったウェブサイトはいい出来で、人が来すぎたときの心配をしていたほどだった。

自分のプロダクトが世の中に出る感動に浸りながらウェブサイトを公開した。そして、わくわくしながらサーバーが忙しくなることを待っていた。

しかし、そこに人が来ることはなかった。

全くと言っていいほど人が来なかった。人がこないサーバーは特にやることがなかった。

僕がしたことは、全く人が来ないサーバーに毎月1万円払うことだけだった。

人が来ない理由を考えれば考えるほど、僕の興味は集客などのマーケティングに向くようになった。Google 検索で意図的に高順位を狙うこと (SEO)や、アフィリエイトを用いてサーバー代を稼ぐことなどを知った。

研究室でブロックチェーンの研究をしていたこともあり、2018年の仮想通貨ブームに乗っかるように仮想通貨に関するプロダクトを作ることにした。

SEOやアフィリエイトについて勉強したことが功を奏して、ウェブサイトを開設して3ヶ月目には売上が100万円を超えるようになっていた。

自分の努力でお金がもらえるのは嬉しいはずだったが、手放しでは喜べなかった。

技術に惚れ込んでいた仮想通貨は投機家のおもちゃになっていて、その投機家に多くの人が騙されていた。また、売上を上げるために僕自身も意図的にいい部分だけを伝えることもしていた。そんな状況や自分に嫌気がさしていた。

そんな中でコインチェック事件が起きたこともあり、ウェブサイトは閉じることにした。

7. 中卒引きこもりニート、就職をする

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僕は、研究者ではなく企業に就職することにした。月並みな理由だが、研究だけではなく、ビジネスでも世の中をよくすることができるからだ。むしろ企業の方が実用性のあることに取り組んでいて、研究よりスピードも速かった。

なによりも自分自身で取り組んでいたプロダクト開発のゾクゾク感がたまらなかった。プロダクトを公開するまでの緊迫感や興奮は何にも代えがたいものだった。たとえそれに人が来なくても、どうすれば人に来てもらえるかを考えることは全く苦痛ではなかった。

就職先とした選んだ企業はクックパッド。ひいき目に見ても、クックパッドのインフラ部にいるエンジニアは間違いなく日本でトップレベルだった。

社会人になってからは、僕は周りについていくことに必死だった。オンラインゲームにのめり込んだときのように、仕事にものめり込んだ。自分のミスでクックパッドが繋がらなくなる緊張感を背負いながらも、昔からやってみたかった大規模なサーバー運用を楽しんでいた。

仕事をし始めるうちに徐々に考えも変化してきた。

コンピュータは人と違い指定されたとおりに動く。そこには、自動化をする面白さがあった。その反面、予想外の反応が得られず、僕はそこに寂しさを感じはじめていた。そうした気持ちの変化から、僕は人と関わる仕事をしたいと思うようになった。

あの誰とも関わらなかった僕が、人と関わりたいと思うようになっていた。

8. 中卒引きこもりニート、やりたいことを見つける

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「人と関わる仕事をしたい」

まるで大学生のアルバイトの面接のような動機だったが、僕は改めて自分のやりたいことに向き合うことにした。

そして、考え抜いた答えが、

「好きな仲間と面白いことをして生きていく。そして人間には常に可能性があることを伝えていく。」

僕は中学生のときの友達が好きだった。彼らは人としての優しさを持っていて、人間として魅力的だった。しかし、不遇な環境で働いている人が多かった。ブラックな環境で働かされることを強要されている人もいれば、優しさにつけ込まれて長期に渡って長時間労働させられている人もいた。彼らのような人たちと、納得のできる環境で一緒に働きたいとずっと思っていた。僕は彼らのように魅力的な人たちと、わくわくしながら面白いことをしたい。

そして、人間には常に可能性があることを一人でも多くの人に伝えていきたい。

僕は自分の可能性について、何も信じられなかった。中卒で引きこもりでニートで、「普通の人」にすらなれていなかった。けれどこんな僕でも、引きこもっていたままでは見えなかった世界を見られるようになって、毎日が楽しくなった。本当に楽しい。

僕自身が経験したことはまだ限られているが、僕自身が身をもって体感した人間の可能性を、少しでも多くの人に感じてもらいたい。誰にでも必ず可能性はあるから、自分の可能性を諦めないでほしい。

この人間の可能性を伝えたい理由はもう1つある。今まで誰にも話したことがなかった僕の家族の話をしたいと思う。

僕には弟がいる。弟は誰よりも優しいし、面白いし、人として魅力的だ。しかし、弟は中学校以来引きこもっていて、今も引きこもっている。弟には発達障害の可能性があり、社会に合わせて生活することが難しく、小学校でも先生からよく怒られていた。

地元の中学校に通う弟は、先生にいじめられていた。当時の僕には、弟のことを気遣う余裕がなかった。中学校で先生にいじめられたことが原因で引きこもって以来、弟は社会に対して心を閉ざしてしまった。優しすぎることで、先生に自分の意見を主張することもできず、尊厳を傷つけられ続けた結果、社会で生きることを諦めてしまった。つまり彼は、自分の可能性を諦めてしまったのだ。

僕は、そんな弟に自分の可能性を信じてもらいたかった。弟にも可能性は必ずある。僕は自身のプロダクトで売上が出たとき、弟を雇うことにした。働くことで自分の可能性を見つけるきっかけになってほしいと思っていた。

弟は本を読むのが好きだったから、文章を書いてもらうことにした。すると、予想を遥かに超えて、弟の文章は誰よりもわかりやすくて読みやすかった。実際の数字としても、弟が書いた文章は他の人の文章よりも読まれる時間が長かった。これがきっかけとなって、弟は少しずつ変わり始めた。

8年くらい前のある日、僕は将来祖父母の介護をしてもらえないか弟にお願いしたことがある。僕がどうなっているかもわからなかったし、祖父母の面倒を看ることが理由で実家に留まるのは難しいと思っていた。

しかし、そのときは弟にきっぱりと断られた。人と接することは難しいと言っていた。

今、弟は祖父母の介護をしている。週に3回の通院も全て弟が同伴してくれている。買い物にも行っているし、祖父母ができなくなってしまった畑仕事も弟が代わりやっている。

弟は少しずつ、色々な体験から自分の可能性を少しずつ信じられるようになっていた。そして今は祖父母の介護という形で社会に関わっている。もし弟が祖父母の介護をしてくれなかったら、僕は東京で就職することを諦めて、祖父母のために実家に帰らないといけなかったかもしれない。弟が祖父母の介護をしてくれているから、僕は自由に働くことができている。

この祖父母の介護という仕事は、弟だけの仕事ではなく、僕と弟の共同プロジェクトだと思っている。

弟は僕にとって好きな仲間、そして一緒に祖父母を支えていく共同プロジェクト。僕はこの共同プロジェクトで自分の姿を見せ続け、自分の可能性を信じるきっかけを弟に与え続ける。

「好きな仲間と面白いことをして生きていく。そして、人間には常に可能性があることを伝えていく。」

僕は、全ての人が自分の可能性を信じられれば、世界はもっと幸せになると信じてる。

9. 中卒引きこもりニート、100億円の会社をつくる

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僕は人々が自分の可能性を信じられるきっかけを与えられるようなプロダクトを作っていきたいと思っている。プロダクトという形で、僕の人生を社会に還元したい。そして現在、1つ目のプロダクトを準備している。

「好きな仲間と面白いことをして生きていく。そして人間には常に可能性があることを伝えていく。」

これを実現するために、僕は「100億円の会社をつくる」ことに決めた。

多くの人と一緒に働くためには、多くのお金が必要になる。人間の可能性を伝えるためには僕自身が大きな挑戦をする必要がある。だから100億円の会社をつくる。

僕は100億円の会社をつくることができると本気で信じている。

そして100億円の会社をつくる過程で起きること、辛いこと、大変なこと、嬉しいこと、全てを伝えていこうと思っている。

僕は今までにたくさんの挑戦をしてきた自負がある。そしてそれらの経験一つ一つが、今の僕の中に生きている。あの真っ暗な部屋から飛び出し、挑戦を始めてみたことが今の僕を形作っている。

これからの挑戦を見て、少しでも多くの人が自分の可能性を感じて、自分と向き合ってくれたら嬉しい。

プロダクトの具体的な内容については近日公開予定。

10. おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました。僕みたいな中卒引きこもりニートでも、自分の可能性を信じてここまでこれました。彼女に振られたことがきっかけで「スーパーマン」になることを決意して、8年間色々なことを経験しました。その経験から自分の可能性を信じられれば何でもできること、そして自分を信じる人生は楽しいだけではなく人を幸せにすることもできると確信しています。僕はこれからも自分の可能性を信じて「スーパーマン」を目指します。100億円の会社を作る道のりはまだ始まったばかり。でも僕はこの夢を必ず実現させます。今後は主に Twitter で発信していこうと思っているのでフォローお願いします。@_ryojiro

この note を作るにあたって、じゅん祇園くんわんちゃんに協力してもらいました。じゅんと祇園くんには構想の段階から協力してもらい、僕のメッセージを伝えるためにどう表現するべきか、毎週議論を重ねてきました。特にじゅんには、3万字を超える文章を短くしてほしいという無茶なお願いにも関わらず、伝えたいメッセージを残しながら短く編集してもらいました。わんちゃんには最後の文章の調整を手伝ってもらいました。彼らの協力がなかったらこんなに素敵な note を作ることはできませんでした。本当にありがとう。

最後に、僕がこうして自分のことを信じ続けられるのは、今まで僕に関わってくれた人たちのおかげです。今までたくさんの人に迷惑をかけたし、助けてもらったし、励ましてもらったけど、それら全てが今の僕の財産となっていて原動力になっています。本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。

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