妄想の夕飲み始めます。 #01目黒某所

 散りゆく桜を眺めながら川沿いを散歩する。今日は昼間の気温が20度にもなり、歩くと汗ばむくらいだ。頭の中に冷えたビールが思い浮かぶ。出始めたそら豆をつまみにビールが飲みたい!口開けの誰も居ないカウンターを独り占めして。そういえば、この近くの住宅街に、まだ一度も行ったことのない小料理屋があったのを思い出す。小さな行灯が玉砂利と敷石の手前に置いてあり、小さく“花邑”とかいてあったっけ。今日はそこでサク飲みしよう。
 水が打ってある清々しい敷石を渡り、引き戸を開ける。初めてのお店だと緊張するこの一瞬。「こんばんは、一人なんですが」「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」何気ないこのやり取りがスムーズで気持ちの良いものであれば、店への期待は膨らむ。まずはさっきの欲求通りビールから。ほどよく冷えた瓶ビールは赤星の中瓶だ。一口サイズより少し大きめのうすはりのグラスに手酌でビールを注ぐ。ここは精一杯美しく注ぐのが私の流儀。あとの肴が数倍美味しく感じられるから。一口飲んだところで、お通しが運ばれてくる。小鉢に盛り付けられたホタルイカとスナップエンドウ、新小玉ねぎの出汁煮。さっと煮たそれらの食感がそれぞれに心地よい。上質な出汁の味が素材の味を引き立てる。歩いてお腹が空いていたのか温かいお出汁まで全部飲み干す。しみじみと美味しい。さて、今日はどんな酒と肴で組み立てようか?献立を眺めながら真剣にああでもないこうでもないと考えるこの時間が好きだ。野菜と魚と肉のバランス、旬のものと定番のもの、冷たいものと温かいものの順番、揚げ物、焼き物、お造りなどの調理法のバランスに、お酒も考慮しながら、今日の献立を選ぶ。こんな感じで行こう!
 菜の花のからし和え、そら豆と白魚のかき揚げ、たけのこの木の芽みそ焼き、お造りは鯛とカツオを少しずつ。足りなかったら鰆の幽庵焼きも頼んじゃおうかな〜。赤身の牛肉でもいいな〜。お酒は福島の純米酒、奈良萬のぬる燗を一合。小さなお猪口にお銚子でちびちび手酌するのが好きな手に負えない妙齢女だ。これは笑えないか。菜の花のおひたしは和がらしの鼻に抜ける香りがたまらない。さっくり揚がったそら豆と白魚のかき揚げでビールを飲み干す。木の芽のみそで焼いたたけのこの香ばしいこと。ちびちび注ぐピッチが上がる。合間にはさむ鯛のお造りが甘い。初ガツオも切り口が凛として旨〜い!あとはもう、酒と肴を行ったり来たり。夕どきの明るいうちから白木のカウンターで繰り広げる一人芝居。こんな贅沢な時間は久しぶりだ。結局、さわらまでたどり着けなかった。また次回の楽しみにとっておこう。大将、おかみさん、ごちそうさまでした。時計はまだ7時前。次はどこのバーに行こうかな。


こんな日常に早く戻れますように。
『妄想の夕飲み」でした。
※お店は私の脳内にだけ存在し、実際には存在しません。この物語はフィクションです。

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