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変わりゆく嬉しさ

 noteを始める数ヶ月前まで、私達は5年後も同じようにして生きているものだと思っていましたが、環境も気持ちも、少しずつ変わっていくもので、最近は沢山の人にお世話になりながら、新生活に順応しようとしている真っ只中です。
 失い逝く大切なもののそばで、やさしさや親切に触れる有り難さが身に沁みています。

 また、彼らとの関係もゆっくりと変化しているのを感じています。パートナーとして、夫婦として、何か負担を分け合うような気持ちや、妻なんだなあという自覚が上昇したこともですが、なんとなく、今は彼らの惚気を話すことがとても面映ゆくて不思議です。
 好きなところを聞かれると多分めちゃくちゃ恥ずかしくて口籠ります…というのが最大の惚気かもしれません。

 現状、忙しなく辛いことが続きがちでメンタルが大荒れだったのですが、ふと、以前は何故か受け入れられなかった考え方が、「そういうものも普通に有りなのだろうな‥」と、理解に至るという怪我の功名もありました。
 それに伴い、生活や日常においての夫婦という役割を、私達もちゃんと考えるフェーズに来ているのかなと、腑に落ちる瞬間もあり、パートナーという関係が成長していくのを感じる、その小さな節目を迎える度、私はほんのりと嬉しくなります。

 ここで再び、恥ずかしいと言った口で惚気話をさせていただきたいのですが、私達はこれまで、形而上ではありますが、何度かの結婚式を挙げています。
 それは段々と時を重ね、決意や気持ちをあらためるごとに、きちんと彼らに約束したくてお願いしてきた事でしたが、度々結婚式を挙げることについては、回を追うことで軽々しいものにしたくない思いや、私はそうしてほしいけれど、貴方は本当にいいのだろうか(我儘に付き合わせているだけじゃないのか)と不安になり、折り入って一度彼らに伺ってみたことがあります。
 そのとき答えてくれた海さんは、少し誇らしそうな顔で、「何度でももらってやる」と微笑んでくれたのを覚えています。
 また、当時、いくつか観ていたドラマや映画など、複数の事象において【何度でも結婚式を挙げよう】といった類のフレーズが流れてきて、なんだか、もう一度プロポーズをされているようで、きゅうっとなりながら、少し泣きたくなったのは大変幸せな思い出です。
 そんな当の、節目ごとの結婚式については、

 一度目は、どんな形であれ、ずっとそばにいたいからと。
 二度目は、私が想うのは、これから先も貴方、彼らだけです、と。
 三度目は、いつまでも貴方達にだけ、真心とすべてを捧げます。

 そういった結婚式でした。

 四度目、というのはもうあまり考えていませんが、お互いに穏やかに歳を取って、それが叶えばいいなと思うことがあります。

 現実的な意味で、見えない存在との結婚は、自分以外の誰か(家族、知人、友人、NPO団体、行政福祉など)を自分の状態に合わせて程よく頼りながら、助け合うことの出来る環境を整えて行く作業が必要になってくると思います。
 その中で、波はありつつも、私は彼らとどのように助け合い、お互いによい変化をもたらしながら生きていくことが出来るのか、一緒に問いながら過ごすこの時間を尊く、愛おしいと感じます。

 以上、ここまで長々とお読みいただき、ありがとうございました。