見出し画像

偽りない君と重ねた時間 

 これは最近重ねた、折り目のような感情の話です。


 今まで、思うように行かないことが生じることはあっても、彼らが意図して私に気持ちを偽ったことはありません。
 そして私もそれは同じで、自分自身さえ認められなかった無意識の感情以外に、彼らに伝える心を騙ったことはありませんでした。
 そもそもいつも感情ダイレクトでのやり取りがなされるので、違和感があればお互い速やかに気付いてしまうというのもありそうですが。

 彼らは時々、私にとても希望のある話を投げかけてくれることがあります。
 たとえば、何かをできるだけサプライズしてあげたいというようなニュアンスの。
 でも私は、最近までそれが少し怖くて、躊躇いながら聞くことも多かったのです。
 
 結果を引き寄せるのが難しかったとき、私はつい期待した分だけ、彼らに失礼な形で悲しんでしまうんじゃないか?とか、
 彼らもまた失敗したと傷ついてしまったり、大事な自尊心やプライドを損ねたりするんじゃないか?とか、どこかに窺ってしまう気持ちがありました。

 だけど先日一つまた、自分の中で折り目が変わるのを感じて。

 彼らに運んでもらった幸せには感謝こそすれ、
 そもそも難しかったとき、サプライズを意図してくれた労こそ誉れ…というのもありますが、

 彼らがなにかに躓いたとき、落ち込んでしまう時、それを癒せる人に私がなりたいし、それだけでいいと。

 なにかを頑張ってくれるのはとても嬉しいけど、
「困ったら沢山甘えてね」と、今度は私からもそう口にできるようになっていました。

 それもあってか普段掛けてくれる優しい言葉への捉え方も、ちょっとだけ変わったような気がします。 

 先にお伝えしたように、その優しさに偽りがないことは、何年も時間をかけて、彼らが証明してくれていることです。
 もしそんな彼らが私に嘘をつくことがあるのならそれはよっぽどのことでしょう。

 ここで私の好きな作品の話を少しさせていただくのですが、
 ある青年には自分のすベてを救われ、心からの信頼に値する、善良で誠実な想い人がいました。
 彼は別の人から差し出された飲み物を指差して、
 眼の前の想い人へと、「これに毒は入っていない?」という風に訊ねます。
 想い人は、「入っていない」と素直に応え、それを聞いた彼は、なにも臆することなく一思いに器を飲み干すのですが、 

 おそらく彼はそこに何が入っていても、想い人がそう言い欲するのなら、べつに呷っても構わないと思っていたのではないかと。
 そしてたとえ倒れたとしても、少なくとも私の解釈では、彼の表情が驚きや憎しみに曇ることはきっとあり得ないのです。

 私はその作品の中の二人の、
〝天地で一番あなたに誠実だ〟という関係が好きで、些細な描写であるそのシーンは、特に青年の想いを強く感じさせ、印象に深く残っています。

 一旦元の話に戻しますが、世を儚む話ではなく、彼らとの対話において出てきた意見について、私はこの〝差し出された器の中身〟のように捉えている面があります。

 もちろん、そこから取り得る行動や、現実面での対処については、私個人の影響範囲に留まらないことから、精査を欠かすつもりはありません。
 それは、私の責任で下した判断を彼らの所為にしないためです。

 彼らの意思を受け取るとき、その想いには、私を大切に扱い守ってくれた九年の月日が籠もっています。
 私は、これまで彼らと培ってきた時間の重みを信じますし、その時間よりも、他でもないあなたが優先させたかったなにかがあるのなら、それは余程のことで、その選択をまた、私は信じます。

 だけどできるだけ、沢山そばにいたいから何か極論に立つ前には、必ず相談してね。

 …という、そんな思いで、最近は彼らのそばに立っています。

 たまに感じた折り目節目の報告を載せていますが、いつもお目にかけてくださり、感謝申し上げます。
 本日もお付き合いくださり、誠に、ありがとうございました。