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希望 -殴り書きの想い-

失意の底

大学3年生で突然社会のレールから落とされたときから、絶望の中に新しい環境なんて当然なくて、私はずっと過去の中に生きていた。

そこにいる友人たちはつらい出来事も楽しかった思い出も共有できる人たちだったけれど、レールから落ちたのは(少なくとも目に見えるほどは)私だけだった。
私が止まっているのを横目に、周りは大学を卒業し、就職した。
自分だけ置いていかれていることに耐えられなかった。

だから私は閉じこもることを選んだ。
彼氏と二人、共依存になりながら不健康に生きた。
友人にごはんに誘われても断っていたら、そのうち皆気を遣ってか、誘いはあまり来なくなった。
それが、私のこの5,6年。

変化

4年半前、欅坂46に出会った。
櫻坂46に生まれ変わったことをきっかけに、私は彼女たちを応援するためのSNSのアカウントを作った。
そこには、私と同様に彼女たちに魅了されている人たちがたくさんいた。

ひとり、気の合う仲間ができた。
5歳も年下で最初こそ戸惑ったけれど時々一緒に遊んだ。同世代みたいに楽しかった。
2人目の出会いもあった。嬉しかった。
でも、私の人間関係はそれだけで大きくは変わらなかった。

色々割愛するが、時が経つにつれ私の病状は少しずつ良くなった。
気持ちが外向きになって、新しいことをいくつも始めた。
時には続けるのが難しくなってやめてしまったりもしたけれど、何度も立ち止まりながら、それでも1歩ずつ進んでいる感覚が確かにあった。
それが、たまらなく嬉しかった。

新たな関係

そんな中、一緒に遊んだその子が私以外に仲良くしている界隈…グループ…があることをなんとなく知っていた。
楽しそうだったから、ずっと羨ましく見ていた。

どんなきっかけだったか。

彼女がそのグループの仲間に私を紹介してくれた。
そこには、年齢も性別も関係ない、ただ櫻坂46が好きだという共通点だけで集まった人たちがいた。
そしてなぜか、みんながみんな優しかった。

私は次第に心を開いた。
病気のこともオープンにしたし、過去を共有していたいわゆる「リア友」の誘いは断っていたのに、ネットで出会った「オタク」とは積極的に会った。

私の「今」を見てくれる、新しい人間関係。
とても新鮮な環境に身を置くことができた。

いつからか、「オタク」といる方が「リア友」といる時間より居心地がいいとさえ思うようになった。
そしてその輪は広がり続けた。
出会いからここまで、たった数ヶ月。
自分でもびっくりのスピード感。

この数ヶ月で気づいたことは、ここにいる皆はそれぞれに色々抱えているのだということ。
皆歩んできた道が違うからこそ、それが見えるのだと思う。
正直なところ私だけ特別だと思っていたし、なんで私だけこんな辛い思いを…と思っていたから、それは大きな気付きであったし、みんなの優しさの所以だと思った。

「今」を見ること

先日、主治医ではない精神科医にかかる機会があった。

あなたは「今」をもっと楽しい時間で埋めなさい。
病気を生きるのはもっと歳をとってからでいいじゃない。

そう言ってその先生は笑った。
すごくハッとした。
もう過去に縋るのはやめようと決めた。

私は「今」を生きたい。
時々記憶が邪魔をするけれど、強くそう思うようになった。

生きることは苦しい。
それはまだ変わらない。
だけど、生きていてくれたら嬉しいと言ってくれる優しい「オタク」との新しい関係が生まれたことは希望になった。

生きていればいいことがある。
その言葉は本当かもしれないと思えたから。

感謝でいっぱいです。
一方的に助けてもらってばかりで私は何もできていないけれど、いつか恩返しをしたいよ。
それまで生きるから、みんなも生きてね。

素敵な出会いをありがとう。

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