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今だから、裸の付き合いして生きましょう

嫌われるのが怖い。ってことありませんか?

私はあります。いつも常にどこかで、心にそんな思いを抱きながら生きています。

子供の頃から教わってた、人間は1人では生きていけないという言葉。

大人になるとひしひし感じています。1人では生きていけないということを。ただ、大人になると選べるんですよね。1人でも生きていける方法を。

でも、選べるのと選ぶのとは、違う。妄想か現実くらい違う。

1人の方が楽な時はあるけれど、ひとりぼっちじゃ生きていけないですよね。だって、ほら、仕事があるし、家族がいるし、友達がいる。

私自身、毎晩のように1人で生きていけたらなぁって思いが募ります。

その理由は、人間関係って本当にめんどくさいから。本当の自分はどこにいるかも分からなくなるくらい、演じてしまっているから。友達にも親にもね。

全然笑顔になれない時でも笑顔でいなきゃいけないし、本当は悩み相談したいんだけど、何て言われるか分からない。相談に乗ってくれている友達に「こうしたらいいんじゃない?」「悩むことじゃなくない?」って言われるたびにその言葉に流されてしまう。

その結果、自分の中で全然解決できてなかったりね。(結局は自分の未来は自分で決めるものなんだけれども。)

自分だけの人生だけど、、自分1人の判断で選択していいのかすら分からなくなってくるんですよ。頼りきってると。

そんなとき頭にふっと降ってきた言葉。

「心の裸の付き合いができたらなぁ」

これは、思っていることを全て言葉にすることでもなければ、相手の反応を気にして思ってないようなことを発して、自分に嘘をつくことでもない生き方。

不機嫌だから不機嫌な態度や不機嫌な言葉を出すんじゃなくって、今は答えが出ないから後でもいい?って聞いてみる。

言いたいことを全て伝えるんじゃなくて、言える範囲で伝える。何を伝えて何を伝えないか、しっかり自分で選ぶ。

喧嘩腰で話されてムッとするんじゃなくて、この話題についてはまた今度ディスカッションしてみよ!って言ってみるのです。

相手の態度も自分の態度も相手への批判も自分への批判も全部客観的に捉えて、話せるときがきたら話しましょうって少しだけ距離をとってみる。

それと同様に相手の質問に答えたくない時ってありますよね。そういうときも、「今は答えたくないなぁまだ自分の中でも自分でどう思ってるか分からないんだよね」って言ってみたり、笑って「ひみつ」って言ってみる。

全部見せることだけじゃない。

全部伝えるだけじゃない。

そーんな生き方が。

銭湯や温泉でもタオルで隠す場所があるように裸だからって全部を見せずに丸腰アピールをしながら見えない部分があっていいじゃないですか。

私はこの閃いた言葉に随分助けられました。

仲良しの友達に限って、一喜一憂してる姿を見せたくなかったり、心配してくれるからこそ本音をなかなか言えなかったり私って複雑な女なんですけどね、裸の付き合いを意識するようになってから、相手の裸の部分も全部受け入れようと思えるようになりました。

こういうのって、後から思えば固定観念だったんですよね。

自分が無理をしてるから無理をしてくれるはずだ、とか

自分が全てを話してるから全てを打ち明けてくれるはずだ、とか

自分が気遣っているのに、なんて気遣いがない人だ、とかね

期待をしないとか、そういう寂しい言い方はしたくないけれど、まずは自分から心の裸の付き合いをして生きたいなって思うんです。

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