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電気と魂とか

自分なりに腑に落ちて納得、確信を得るというタイミングは久しぶり。
たぶん、CODE NAME HARUを書くためのインスピレーション以来。

次男は学校で「電気」を専攻しているのですが、折に触れて互いに「電気って不思議だよな」と話をします。
学校の教授陣も、「電気は勉強するほどよくわからない」と漏らすらしいです。

自分は電気を専門的に勉強したことはないので、ある意味素人の考えでしかないのだけれども、いつまで経っても電気のことがはっきりと解明されないのは、神や魂というものを勘定に入れない限りは、きっとつじつまが合わないのだろうと常々考えていました。

かれこれ30年近く前、学生のころ授業で、
「人間の体は電気で動く」ということを知ったときは衝撃でした。
その、ある種の感動を今もよく覚えています。
筋肉が動くのは微弱な電気が流れているから。
死ぬまで止まることのない心臓を動かしているのも電気。
脳神経系を経て各臓器へ送られる信号も電気。

昔、東洋医学に夢中になっていたころ、「神経」という漢字の由来は、読んで字の如く、「神が通る道」といったニュアンスの文章を見た記憶がある。

今日は長女の高校受験が無事終わり、安心したからか、湯舟に浸かってリラックスした気分だった。そしてインスピ。
魂と呼ばれる存在の在り様がなんとなくイメージできたのだ。

魂が実際にエネルギーだとすると、脳神経系から筋肉や各臓器を経る信号とは、意図ある存在からの原動力としての電気という現れであって、その拍動、うねりが磁場となって自らの在り様となる。

長年、心臓の拍動としての自動能――洞房結節から発せられる電気信号が不思議でならなかったのだけれども、意図する魂、もしくはその魂を生み出した神々の意図として脈打つ心臓。
そして人として活動するための脳神経系と筋肉なのだろうと。

今、部屋を照らす明かりも、暖をとっているのも、パソコンのモニターに向かってキーボードを打っているのも、そのパソコンで音楽を聴きながらWEBに繋げているのも、すべて電気のおかげではあるが、その電気とは森羅万象のエネルギーを人工的に電気に変換しているわけで。
その業とはやはり、非科学的なエネルギーを持つ実態を考慮に入れなければ成り立たないがために憧れや浪漫、信仰の対象にすらなり得るのだと思う。

と、上記のように抽象的でわかりにくい文章ですが、ピースくんがいつも言う、「魂」や「神」といった存在の在り様が、少しだけわかった気がした夜でした。

※写真は長女が撮影した蝶。このかたち、色使いなどのデザインも神の業ですよね。そして昆虫たちも電気で動いているんでしょうね〜🤔


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