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心なりけり

4年ぶりに日帰り温泉に行ってきました。
コロナ禍以前――23で結婚して以降は、単車で自動車で定期的に通っていた。――それが4年間も途切れていたのは、やはり世も末。

新たなnoteマガジンとして、「すみなすものは心なりけり」と。
仰せの如く心がけ次第で人生とはどのようにもなり得るのでしょう。

アメブロからnoteへ移行したきっかけとして、仕事の変化を挙げたのですが、あれから2年が過ぎた秋。
当初の想定とは違った方向へ舵を切りました。

はたちのころから頭の中に響いていた、「書け!」という声無き声に従い、その声を確かめるために23から何となく書き始め、27で遼の父親になったと同時に、具体的に書き始めました。
声の導きで、二人のKさんと、Pくん含めたメンバー、その他にも数名の「きこえる人」や「みえる人」と出会いました。
最後、10年前にcode name haruを書いたら、もう声に急かされることがなくなりました。

それまで自分の人生の予定はその時点までで、それ以降の人生は未定。
なのでこの10年間は、意志も予定もなく、ただできることをやるだけの意図的ではない期間だったように思います。
周囲やご縁のある人たちに助けられ、なんとか呼吸をして繋いできたような。

人には魂があり、人生を繰り返してゆくものだとすれば、その積み重ねの中に清算すべき業もあるのでしょう。
それから、はたちのころから想像していたように、今の文明の行く末に人類滅亡に近いシナリオも当然存在していて、それが可能性の高いヴィジョンだと信じ切っていたからこそ、この10年間は抜け殻のような時を過ごしていたことになる。
それは間違いのない予感だったとも言えるし、そうでもないと言えばその通りで、矛盾に満ちているのはレイヤーの違いでしかなかったのでしょう。

何を書いても特に意図はない。
思考の整理の記録として。

枝に残った雪が解けてゆくのを眺めながら浸かった温泉も、雪のように白く濁り、空は雲が重なり灰白色で遮られていて。
久しぶりに呼吸した湯気は、全身を潤してくれました。

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