見出し画像

こころの痛みは愛の証

生活も落ち着き始め、ながいこと胸の内でくすぶり続けていた想いに何かしらの方向性が固まり始めた気がする今日この頃です。

最近感じているのは、「胸の痛み」とはちゃんと自分自身と向き合うことができているということ。
高校生のころ、社会に出ることで、痛みを感じることができる内面の「柔らかさ」を失ってしまう予感がたまらなく嫌で、卒業後すぐは社会的であることを拒否しました。

その後、心が鈍く、閉ざされていくことを自覚しながらも紆余曲折を経、社会人となり、結婚し、長男である遼が産まれたと同時に、再びその柔らかさと向き合うことになりました。
遼は先天性心疾患を有しており、いずれ来る「死」と向き合う毎日に、こころの痛みを感じない日はありませんでした。

すべての業と向き合うため。
閉じた心を開くため、遼はやってきて去り、死んだ私のこころに火種を残していきました。

最近ようやく、父親に対する遼の願いを受け入れることができる時が来たように感じます。
遼は私に、自由に、好きなように生きて欲しかったのだと思います。
幸福であるようにと。

遼が生きていれば今、21歳。
そんなにも時間が必要だったのだろうかと、力なく笑うしかなかった。
こころの痛さは愛の証なのだ。

※写真は昔、遼と訪れた内海。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?