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脳内イメージは言葉にならない

神戸に行ってきました。

4年ぶりくらいの出張でしたが、神戸の街並みを見るたびに思い出すのが阪神大震災ですね。
そして、復興したビルを見るたびに思い出すのが人間のたくましさです。震災が真冬で、その春にツーリングがてらバイクで通りかかったときはまだ、アスファルトがひび割れてうねっていたり、全壊した民家がそのままの箇所もありました。

今回神戸に行ったのは仕事の出張で、コロナ禍以降初めての県外出張ですね。

さて、ことあるごとに自分の中の課題なのか、テーマなのか。
今回の仕事でも20年以上つきまとってくる、相反する価値観の融合を突き付けられます。
仕事に関して言えば、合理性の追求と人間性の維持、効率と非効率な楽しみとか。
それを時代や諸々の背景に合わせて調整する必要がある。
その答えはもう、理屈じゃないですね。
感覚でしかない。
しかも常に新しい価値観、モノの見方でしかないので、そのイメージの共有がものすごく難しく、結果、理解を得ることが難しい。
なので、可能な限りのたくさんの「種」を蒔いておいて、時節のみがその芽が出ることを知っているので、あとはひたすら待つのみ。
芽が出るのが数日の場合もあるし、数年の場合もあるし、もしかすると来世かもしれない。未来永劫出ないケースももちろん。
もしも芽が出たことを確認できれば、あとは誰かがやってくれる感じですね。

とにかく、自分でも何故そうなのかよくわからないまま、ひたすら自分のペースで相反するものの融合を目指している。
自覚があるのは、そういった欲求を持っているということだけです。
しかも、上記の如くかたちにならない場合が多いのが悲しいとこですね。
あくまでもイメージ。

なんのこっちゃ、訳が分からない文章ですが、思い返せば2005年から始めた初めのブログでも同じようなことを書いていた記憶がありますが、自分なりのその融合されたイメージは、その後、ときにはうまく醗酵してそれなりの旨味に変化したこともあるのだと思います。

本当はもっと具体的で筋の通った文章を書こうと思っていたのですが、いざ、そのイメージに意識を向けるとこんな風に、支離滅裂な共有の難しい言葉の羅列になってしまいますね。

※写真は宿からの夜景

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