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笑いをつくる人

大学時代に映像コースというところにいて
自主ビデオ作品を作る課題などに取り組んでいた。

そこでは初っ端、レクリエーション的に先輩と組んで
チームに別れ作品をつくり、新入生歓迎会で上映する、という伝統イベントがある。
有無を言わさず大画面に登場させられることで、新入生が皆に顔と名前を覚えてもらう、新歓ならではの企画だ。センスのある先輩のチームに入れると、かなり美味しくしてもらえたりする。

私が新入生の時は、運良くめちゃくちゃ面白い先輩のチームに割り振られた。その時は顔を白塗りにしたので、名前を覚えてもらえるまで「白塗りの子」の異名を持つことになる。

その後の学生生活で、沢山の映像作品に触れながら
自分でも作品提出に追われていく中、
やっぱり"笑い"が起こる作品は強いと感じる。
笑っちゃう作品の強さは
「見る人の心を掴んじゃう」ことだ。

他人のものだと思っていた作品に突然、
自分の「生きた呼吸」が生まれる、あの感じ。
ちょっとした中毒性があり、また見たくなってしまう。

笑いの作品だけがそうだということでは無いけど
創作物語やテクニックで見せる作品とは作り方が違ってくる。
物語なら自分の脳内にあるものを出すやり方。
テクニックなら、身につけた編集技術を出すやり方。
学生作品には、こういった"自己表現"が多い。

では笑いはどうやって作るんだろう。
大学の4年間で、私は笑いの作品を作ることは出来なかった。
「人を笑わせる」仕組み、そして人間が「笑う」仕組み、それをゼロから生み出すなんて、出来なかったからだ。

例えば

何か面白いエピソードありますか?

なんて尋ねられて、すぐに面白く話せる人は
この世にどれくらい居るんだろうか。
そもそもフリから「面白いエピソード」と言われてしまっている状況ならなおさらだ。
「面白い」を作ることは、自分だけじゃなく相手を面白がらせることであって、自分の領域内での面白さを、相手の領域内の面白さに、多少なり変化させないといけない。

究極のサービス精神みたいなところがある。

私にはサービス精神がない。
学生の当時よりは多少あるかもしれないが、
基本的には最初から最期まで自分が良ければそれでいいと思っている。

"誰かが笑う"ということを知り、喜びを感じて
笑いを学び、仕事にするような方々は
根っからのサービス集団。尊敬するほかなく、
独り善がりな自分には絶対に真似できない。

お笑いにハマりはじめて丸々1年半ほど経つが、その間ずっと、芸人さんの優しさに助けてもらっている。

私にとってあの方々の背中がかっこいいのは、
見る人一人ひとりの中にある
"無くても生きていけるもの"
でも、"無いと生きて行けないもの"を
探して取り出して、
「君は確かに生きてるぞ!」と
いつも思い出させてくれるからだ。

お笑いの不思議な力は
2020年の不安定な生活を、楽しく
思った以上にギラギラと明るくしてくれた。

どうか来年も、ステージに立つ方々の思いがたくさん叶いますように。
皆様も良いお年を!^ ^

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