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Bye-bye, エヴァンゲリオン

つ、ついにエヴァンゲリオンを観た。
あんまりに好きな作品には動きが鈍くなってしまう。終わってしまうから。




何回か見ないと分からないとか、解説を見たとか、チラホラ聞いたし目にしたけど、個人的には今回が最もわかりやすく、たまに感じる、なに見せられてんの?という感覚もまるでなかった。あまりにキレイに終了していた。体操で完璧な着地を見た時みたいな感じだった。




あのエヴァが、こんなにキレイに終わるのか。分かりやすいメッセージを提示して。
もちろん褒め言葉で、素晴らしい作品だった。



お気に入りのシーンで言うと、(ネタバレ)


元ネルフの廃屋でシンジがレイに泣きながら話すシーン…
こんな僕なのに、みんなが優しい、とぐちゃぐちゃになりながらそんなセリフがあった。




わかりみが深い🥺と思った。
シンジは自分が世界を壊したと思い込んでいるのでその絶望たるや凄まじいのだが、それでもレイは彼の元を訪れて、アスカも知らぬところで彼を見守り、トウジもケンスケも委員長も、気にかけてくれる。
みんなの生活をめちゃくちゃにしたのに、殺されてもおかしくないのに、飯まで食わせてくれる。


…おおん?


自己顕示欲が強い人間(思い当たる節ありすぎ〜)にとって、世界は0か100なので、他人の優しさが理解できないんだけど、実際にその態度に触れて、妄想が壊され、感情がぐちゃぐちゃになってるんだと思った。なんだ、許されているじゃん、って。
これはキリスト教的な価値観も壊している。罪は初めからなく、この先も死ぬまでない。
存在しているだけで、救われている、許されている、そんなことを思わせるシーンだった。




ちなみにキリスト教的な宗教観には昔から割と触れているので、聖書はなんとなく読んでいるし、リリンとかリリスとかなんとかは、なんとなくわかっている。(だが無宗教)




あとは、何かに気づいたシンジが、ついにゲンドウときちんと対話する一連のシーン。




なにに気づいて、何を克服したのか、書くのは難しいけど、シンジがひとっ飛びに成長したのは見えた。そしてユイが死んだことを受け入れられなかったゲンドウは、息子にそのホントーのところを話すことで、自分を認めたんだな、と思った。感動した🥺




自分を見つめて認めるのは、とても勇気がいる。あと訓練もいる。ずっと認められないまま死んでいく人もたくさんいる。そういう人は来世で頑張るしかない。私も死んだら来世でまた頑張るんだろう。それくらい難しいことだ。




ただ勇気が必要なだけで、問題はすごくシンプルだ。自分を認めて、許せばいい。




孤独を救ってくれた心から愛する人が死んで、本当に辛かった、悲しかった、頼むから帰ってきて欲しい、




多分ゲンドウがするべきことは、悲しい、辛い、そういう気持ちになる自分を認めて許すことで、人類を補完する計画を実行することじゃなかった。エヴァンゲリオンを作ることじゃなかった。息子と離れることじゃなかった。




シンジと話して、自分の心の内を、偽りなく正直にのぞいたことで、もうエヴァンゲリオンはいらなくなった。自分を認められたから。だから、さよなら、すべてのエヴァンゲリオンなのだ。




というわけで、見ているうちに、私的には正直エヴァと使徒の戦いがどうとか、そういうことはあまり関係なかった。エヴァ自体がどうなるのかを追っていたけど、見てるうちに別のモノに心を奪われた。




そして、アニメ版の最終回を見た時と、同じ気持ちになった、




あ、よかったね


ってな!
すべての登場人物におめでとうだよ!笑




色々感想はあると思うんですが、庵野さんありがとうなのです。いいもの見せてくれて。

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