継承の難しさ

書きたいことが二つあって、書いた後で見返してみるとどちらも継承の話でもあるなと思ったのでタイトルを変えた。

・かはくのクラファンの件、バックヤードツアーめーっちゃいいなと思った。全然知識ないけど思い切って申し込んだろかと思ってたけど鯖落ちしてて目を離してるうちに売り切れてた。やむなし。

・在庫復活を待って買う手もあるにはあるのだが、これだけ有名な科博でさえクラファンやるって、他の博物館はおして知るべしって感じで怖いニュースだなとも思った。いっそのこと耳目の集まりがちな科博でなく他のものを支援する方がいいのかもしれない。

・今付き合っている人が(別の件の話をしている時に)クラファンは持続可能性に欠けるから、一過性で何かを乗り越えるという目標ではない場合は本質的な問題解決にならなくてあまりいい手法ではないと言っていたのに納得感があり、じゃあどうすれば、、と思ってる。持続可能なクラウドファンディングを社会が指向することになるのかもしれないが、そうなると結局、上手く世の中の人に共感をもって声を届けられる人が勝つことにならないか? それって本来の文化や福祉の性質と掛け離れるのでは? まぁ、私の思想がどう考えても大きい政府よりだから問題視してしまっているのかもしれないが……

・思ってたより一個目の話題が膨らんでしまった。二個目の話題はモーニングのこと。

・私も若手メン推しなのもあってモーニングの歌ってる人が常に固定され続けてる感じ、そのマネジメントのスタイルが嫌だなーと若干離れてしまっていたのだけど、この度25周年で過去のmvが公開されることになって、特に乙女組のパフォーマンスを見ていて、ずっとふくちゃんが拘ってたモーニングのギラギラ感とか競争意識、前へ前へ精神ってこれかぁ、と得心がいった。そりゃ確かに昔のモーニングへの憧れやその伝統への愛が強い人からしたら、このかっこよさを守り継がなきゃと思うだろうし、グループ内でベテランになっても勝ちに拘り続けようとするだろう。し、それをインタビューで公言したりもするだろう。そして、今は賛否両論があるリーダーだけど、時が経てばいずれ偉大なリーダーとして評されるのだろうとも思う。
・ただでもやっぱりアンジュルムや他グループの若手がイキイキ活動してる雰囲気は、多様性を尊重する今の世相に合ってて魅力的に見えるし、その意味でモーニングが比較され否の声が上がるのも仕方ないかなとも思う。いまの推し活は、誰か1人のメンバーだけを推すというより、関係性も踏まえてグループごと推すということがトレンドな印象もあるし。
・自分が好きなもの、大事だと思ったことをやり抜いたり、伝統を守り継いだりというのは大事だということもわかる。そうした拘りが大事で譲れないのも想像できる。ただ、自分自身が今悩んでる部分として、より若い人にのびのびすごしてもらおうという試みには上の人の技量とかそれを可能にする環境とか色々なものがいると感じているのも相待って、技量の問題なのか考え方の問題なのか、それともそもそも問題ではないのか、よく分からないなぁ、答えがなくて難しいなぁ、という気分にますますなってきている。
・ハロプロの一つの大きなストーリーには、「何も持たざる私」が(実質的には色々なもの、特に才能を持っている人たちの話なので、これは錯覚なのだが)アイドルとして成長していくという話があると思っている。生身の人間が努力して素晴らしいパフォーマンスをするようになる、という点で、等身大(成長物語なので、身近に感じられる)かつ憧れの女の子(絶え間ない努力をし、魅力的なパフォーマンスをする)という両義性をもった存在になるのが面白いと思う。そういう意味では、ふくちゃんの件は、比較的歳が近いこともあって等身大の悩みの方をなんか勝手に想像しちゃうメンバーだな、、と思う。パフォーマンスという面からいくと、特にダンスとかすごく好きなんだけど。こっちが見えてることなんかほんの一部に過ぎないし殆どは勝手な妄想なのかもしれないのに、ファンとは勝手なものだ。

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