モザイク
手書きで思考を整理したりストレス発散することから逃げてさぼっていたけど、やっぱりやった方がいいのかもしれない。澱がたまる。
noteでも一部は書けるかもしれない。
何でもかんでも身体のことに結びつけようとする癖良くないんだけど思考がそちらに流れがち。そして実際に、身体とそれ絡みに纏わる経験と問題もそれなりに沢山あり、苦しい。誰にどう言えばいいのかわからない。
喧嘩苦手だなぁ。喧嘩というか人に不満や要望を建設的に伝えるのが苦手だ。どこまで言っていいのか分からないし。なんかもういいかってなっちゃう。結構私の根本的な問題なんだよな。
しっかりしてるとか自分を持ってると言われがちで、自分でもずっとそう動いてたけど、人に頼れるのは楽でいいなぁ。新鮮な感覚だ。相手の負担や思い、自分がやるべきことを放棄してただ怠けてるのか、みたいな点が気になるけど。
向上心はある筈だけどどの方向に向かえばいいのかまたわからなくなって多分困ってるんだと思う。書いてて漸く今気づいた。方向性は外注できないからなぁ。
最近になって漸く、自分の発言が目の前の誰かを傷つけてる可能性をまともに考えられたり反省できるようになってきた(これはポジティブな言い方をあえてしている)。それ自体は成長だと思うけど、気分の落ち込みには影響する。反省はすべきだと思うけど。
こう言ってしまうとまた良くないのかもしれないけど、幼少期からずっと人の発言や視線への鈍感さを鍛えすぎてきたところから、今漸く脱しようとしはじめたという位置なのかもしれない。ただ、私にとっては鈍感さはある種ずっとやむなく鍛えられ続けてきたものだ、勿論生まれ持っての性向はあるだろうけど。
正しい(或いは、より良い)繊細さや内省を持ちたいけど、難しい。振りかざすだけになったりする。
肉体が辛くてバーチャル空間で生きることを夢見る時が昔から度々あったし最近も(特に調子が悪い時などに)そう思う。コロナ禍のオンライン生活はごくごくわずかそれに近くて楽になる問題がそこそこの数あって嬉しくもあった。元の生活に戻りつつあるいま、物理的に人と会う生活の価値を(正直な言葉を使うなら、無邪気に)語る人を見ると、その人への私が勝手に持っている期待の度合いに応じて、落胆してしまう。社会としても、単に元に戻ることだけを志向しているように見えて、結局何も変わらないんだなってがっかりしてしまう。与えられた経験を咀嚼せず、自分に都合のいい社会だけに戻って行くのか?と。それとも咀嚼されてるのだろうか、私が気付けないだけで。
メタバースのこと、もう少し勉強するべきなのかもしれない。
研究は好きだから続けたいけど、社会的な栄達は手段として必要なのであって私にはあまり目標にならない。綺麗事だが自分でなくて人のために本当に考えて働けるようになりたい。もう少しいい人間になりたい。器が足りなさすぎる。
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