放言

昔から、言語化出来ないまでもぼんやりとずっと思っていた。

私は自分の世界で生きる限り別に自分の体の某機能には不満がないのに、何でケアが必要な人とみなされなければいけないのか。
もし仮に他の人々が私と同じ機能をもつ体で生きる世界なら、別に私は何も苦労はしない。だから、今の苦しみは、単に少数者としての苦しみである。多数者が多数者としての特権を自覚のないまま享受していて、勝手に哀れんだり治療対象とみなしてくるのだと。

自分が抱えるいくつかの体の問題のうち、上記のような考えを持たず治療対象だとか苦しみを取り除いて欲しいと考える問題もあって、つまり、自分の体の問題のうち一つは障害と認識していて、他は病気と認識しているのだと思う。歳を重ねるにつれ、私にとっては障害の方がより大きな問題になっているから、ますます違和感が増してきている。率直に言うと多数派を気持ち悪いなと思うこともそれなりに多くあるし、最近ますますそうした思いをする機会が増えている。

しかし自分も少数派を気取ってみたところで、一つの問題以外には、基本的には強いポジションにいて無自覚な立場にいる人間な訳で、ますますやるせなさが募る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?