祝いと怒りと

ハンチバック受賞して嬉しいし絶対読むと思ってる。こんな注目の仕方をしてしまって大変申し訳ないし恥ずかしいというか綺麗な感情ではないと思うけど、こう、大衆に向かって怒りをぶつけてくれてありがとう!!!!!という気持ちは正直かなりある。私が抱えている問題自体は重ならないけど、声を上げにくいマイノリティ、そして社会における少数派であることの不利益を被っていて本来怒るべき人、が、漸く日の中で主張できて怒りをぶつけられているというのが比喩でなく涙が出るほど嬉しくて教えてくれてありがとうと思うのだ。明らかに元々声を上げづらい立場にある方だから、表舞台に立たれたこれまでのご苦労含め、本当に本当に素晴らしいし嬉しいことだ。

だから、私の中では、正直なところ、共感からくる快哉がそれなりに大きくある。でもその一方で、自分は"共感"したり、その気持ちを大っぴらに認めて良い人間ではないんじゃないのだろうとも同じくらい思い、どうしていいかわからない。個々で抱えている問題が違っていて、彼女や見えない他の人の問題については、私は明らかに加害者側の立場で、そんな人間が共感なんてどれだけ烏滸がましいんだと思う……それでも、理屈や冷静な視点を抜きにして自分の感情だけを見るなら、私にとっての共感と快哉が確かにあるのだ。

世の中には色んな考え方や原理があって、"私たち"(この表現でいいのかわからないが)の怒りだけが常に正しいわけではないのかもしれないと思う時がある。じゃあ、落とし所は? そして、正しくなかったとしても、私たちは私たちの権利として、ちゃんと怒ってよいしそうすべきでないかとも思う。

まとまりのない思考だな。でも同じようなことをジャンルは違えど考えようとしている人はいるはずで、別にすぐ解けなくていいから何とか前に進みたいと思う。

障害者という苦労とキーワードでその人の仕事を評価するという姿勢もそれはそれでどうなのかと思う。とはいえ、私にとって、切り離すのは色々な面で難しい。それでも、自分の思いを下手にのせず、できるだけただ純粋な尊敬の気持ちをもって呟きたい。受賞おめでとうございます。



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