星のように離れて雨のように散った

『星のように離れて雨のように散った』を読んだ。
・久しぶりに読んだ、これぞ小説という趣の本。普段は読むとしてもミステリとかSFとか、そういう心より頭を使うものばっかり好きだから。
・小説後半、春が自分の物語を生きれるようになった時に描写される生活・部屋の様子が健やかで心地よい(百均で買ったサボテンの棘、光溢れる室内、大好きな本を積んだ机、抱き心地のよいビーズクッション、美味しくて食べすぎてしまったポテトチップスの空き袋、YOASOBIをかける、など)。大好き。
・読み初めの時、『六の宮の姫君』を思い出しながら読んでたけど(文学作品を論じる学位論文を書いている若い女性がでてきて、登場人物が作中で作品論を議論するとか近すぎない⁈)、読み進めて行くとそうではなかった。
・六の宮の姫君の「私」にとって、その作品を扱う必然性や「私」の人格との結びつきは強くないが、この本の場合「銀河鉄道の夜」でしかありえない。

・内容は……。対話により心を柔らかくして自分に向き合えるようになって行く話。対話によって揺らがされて殻を破れるようになるという点が小説っぽいと感じたポイントかも。
・登場人物が皆何だかんだ真っ当な感じで良かった。ちゃんと春とコミュニケーションをとってくれる人たち。こういう「ちゃんと」したコミュニケーション・対話をできる相手、現実世界ではそうそう見つからない(或いは私がサボってるのかもしれないが)。それなのにこの小説では純化された関係ばかりがでてきて、少し異様に感じた。みんな真摯ですごすぎ。それとも、やっぱりそういう人間関係も春の精神性がもたらしているものなのかな。小説の登場人物と自分を比べるのも詮無いが。
・自分自身は春のようなタイプの危うさ、人への依存や同化への欲求から多分かなり離れたところにいる人間なので、ほぉーという感じもありつつ読んだ。勝手な印象だけど、小説では、こういう同化を求める状態から自分の輪郭を取り戻して互いに異なるままでの共存を目指すようになって行くみたいな主題の方がよくある気がする。自分のことを言うなら、自己完結しがちで自他に強く線を引こうとしている傲慢さや殻からどう抜け出すか、がおそらく問題なので、この本の主題とは真逆なんだよな。そういう、私の問題に近いような小説って無いもんなんかなぁと思う。ただどちらにせよ対話が大事だと言うのは共通していて面白いと思う。
・危うい人には色んな事情があるんだろうなと思うから特に何も思わないけど、個人的にはその危うさに惹かれる人(今回の場合亜紀くん)が得意でない……。ともに落ちたいのならまだいいけど、特に歪んだヒーロー願望ならいやー苦手だなって思っちゃう。この感覚、私が他の人から真っ当だ(すぎる)と時々言われる所以なんだろうな。
・話を戻そう。何にせよ、やっぱりコミュニケーションをさぼっちゃいけないんだろうな。。某元彼殿、やっぱり何だかんだ正しかったしよく見てくれてたんだな、と思う。若かった。
・歌の歌詞には歌を歌う人がたくさん出てくるように、小説などの表現活動をする人は初めから他者へのコミュニケーション欲求をもっているから、そういう話が多くって、私が欲しいような主題は表現されないのかもしれない。欲求って内発的なので、私には時々十分にピンと来なかったりする。
・この本は良かったけど、帯文の解説の抜粋の方が自分好みすぎたかも。そういうことってある。
・この本で言ってるけど私は汲み取れてないこと、沢山あるんだろうな。或いは時間を置いて読めばまた感想が変わるだろうか。この本は確かに歳や経験を重ねると感想が変わりそうな気はする。楽しみだ。いい経験をできるといいな。


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