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『雑談』を後ろの席から盗み聴き EP.70「はて?から広がる世界」を聴いて

 エピソードを配信された順に消化していこうとEP.5〜8(この4つが同一の収録だと思われるので)を繰り返し聴いていたところに、最新の "EP.70" が配信された。(EP.70は2024/5/14配信開始)
 何回も繰り返し聴いてみたけれど、どうにも理解できないところがあり、あれこれ考えてみたので、急遽順番をすっ飛ばしてこれを書いています。せっかく考えたことなので忘れてしまわないように、と。(5/15の朝にEP.70を聴いて、一日中考えてた気がします。)




朝ドラ『虎に翼』

 オープニングでの美味しそうな近江屋洋菓子店のフルーツポンチ(これはぜひ食べてみたいんですが…)の話は置いておいて、本編冒頭に始まる朝ドラ『虎に翼』の話について…。
 ワタシ、7:30からのBSでの放送(通称"早虎")を観て、8:00からの地上波本放送("本虎")を観て、なんならお昼の再放送("再虎")も観て、土曜日午前中のBSでの1週間分再放送("虎翼まとめて一週間")も念の為録画して、とどっぷりこのドラマに嵌まってます。
 サクちゃんがX(旧Twitter)で『虎に翼』のことを投稿しているのは時々見かけていたので、多分気に入っているんだろうなとは思っていた。『雑談』を聴く限り結構嵌まってるようですね、サクちゃんも。
 同じドラマに嵌まってるってちょっと嬉しいじゃないですか。(笑)


『地獄への道は善意で舗装されている』

 "The road to hell is paved with good intentions"

EP.70 8分あたりから 

 これ、ヨーロッパのことわざらしいですね。
 『よかれと思って』やったことが、実は…という。
 誰しも身に覚えがあるんでしょうね。
 サクちゃん自身の話の中でも出てきたことですね。


トラちゃんの『はて?』とサクちゃんの『ホントかな?』は同じこと

 このことに『雑談』を聴いてやっと気が付いた、というなんともおバカなワタシ。一体何を見て何を聴いてたんだか。
 サクちゃんがこのドラマに嵌るわけですよ。考え方が主人公のトラちゃん同じなんだから。

 で、この『はて?』『ホントかな?』が…

なんか怒りのもっと手前なんだよね。
「なんで?」ってなるっていうか。
怒るもなにもないって言うか、わからない
 by サクちゃん

EP.70 9分あたりから

ってことらしい。

 これを聴いて思ったのは、多くの人は「はて?(なんで?)」と言う疑問が浮かぶとすぐに「それは違うでしょ?」という考えに走り、次に「私の思っていることと違うということは私が困るってことだ」と認識して、さらに「私が困るのはイヤだ」となり『怒り』という感情に到達してしまうのではないか、ということ。ほとんど瞬時に。考える間もなく自動的に。
 ところがトラちゃんやサクちゃんのような人は、『はて?』『ホントかな?』の時点で立ち止まることができて、『はて?』『ホントかな?』の原因究明・理由探索の方に意識を向けるというルーチンが身についているのではないか、と思っている。
 『疑う力』がとても強くて、疑った時点で立ち止まれる人ってのはまれな存在なのではないだろうか。少なくともワタシは違う。


嫌われたくない、なぜなら私は人に好かれていないと価値がないから

 実は後半11分30秒過ぎくらいからが今回の雑談で一番気になったところであり、なかなか理解が及ばなかったところでもある。
 『他人ひとに嫌われたくない』がワタシが自分にかけた『呪い』なんだから…。

「私がこれをやるのは、好きだからやってるわけじゃない。なぜなら、私は好きなことをやっていいわけじゃないから。」みたいな、結局突き詰めていくと自分で自分のことを否定してる、ってのが一個あるじゃない。
 一方で、〈中略〉「嫌われたくない」も掘っていくと、「嫌われたくない。なぜなら、私は人に好かれていないと価値がないから」なわけじゃない。
 誰かが自分のことを嫌うって、自分でどうしようもできない。だけど、そこの先の「なぜなら、私は人に好かれないと自分に価値がないから」の「なぜなら」はもうそっから我田引水なんだよ。
 by スーさん

EP.70 11分45秒くらいから

 前半の部分は「自分で自分を否定してる」という指摘で、後半は、「他人ひとが自分のことをどう思うか」ということは自分がどうこうできる範疇のことではないし、相手が本当にどう思っているかは自分には決してわからない。それにもかかわらず勝手に「嫌われた」と自分でジャッジしてしまうのはおかしくないか。さらに、「嫌われたと自らがジャッジしたこと」を根拠に自分のことを「価値がない」って断ずるのは自分で自分の首を絞めてるだけじゃないか、って指摘、だと思ってるんだけど、あってるのかな。ちょっと自信がない。

 さらに続いて、

 自分で自分に禁止をしてるわけじゃん。たとえば「私は好きなことをやっちゃいけない『から』、別のとこから理由を探してくる」じゃない。〈中略〉「好きなことをやっちゃいけない」から「好きなことをやらない」じゃないのよ。〈中略〉「好きだからやってるんじゃない」って理由をとんでもないところからトンチンカンを連れてくるわけ。
〈中略〉
 次に「私はこの人に嫌われてはいけない」なぜなら「人に嫌われたら価値がない」から。で、たとえば「この人に好かれたい」「この人たちから認められたい」っていう素直な欲望というかさ、すごいプリミティブな原始的なものがあった時に、それに対して「なぜなら私にはその価値がないから」になっちゃうと、やっぱ全部訳わかんないとこから間に合わせの理由を見つけてこなくちゃいけなくなって、それが実は他者からの不信を生んだりとか、攻撃と取られたりするとかはあるなぁってのがだんだんなんとなく(見えてきた)。
 by スーさん

EP.70 13分30秒あたりから

 ここが今回の雑談で最も理解できなかったところ。何度聴いてもスーさんの言ってる事がわからない。十回以上聴いたかも。(車を運転しながらだったので、聴くしかできなかったので。)
 聴いてるだけではらちが開かないので、家に帰ったところで(紙の)ノートに思うところを書き出してみた。

 その結果をまとめてみると…。

 「好きなことをしてはいけない」という『設定』を自分にしていると、「好きなことをしたい」という欲望が出た時には、「好きだからやっているんじゃない」というウソの理由を(とんでもないところからトンチンカンなのを)捻り出してくる。
 「嫌われるのは自分に価値がないから」という『設定』を自分にしていると、「好かれたい・認められたい」という欲望が出た時に、「自分に価値がある」と相手に思わせるために、都合のいい間に合わせの話しを持ってくる。
 この「ウソの理由」や「都合のいい間に合わせの話し」を出すことが原因となって、相手に不信感を抱かせたり、攻撃されたと取られることになる。

 果たしてこの解釈で合ってるのかな。

 そうであれば、自分にもたっぷりと身に覚えがあることなんですが….。


 スーさん&サクちゃん、ここをもうちょっと詳しく解説してください。お願いします!

 というわけで、このあたりのことが語られそうな来週の配信が待ち遠しい。連続ドラマみたいに、いいところで切って次週まで引っ張らないで欲しいぞ!(笑)


( ´ー`)。о(勢いで書くと恥ずかしい思いをするのが常なので、この記事も一旦書き上げたあと、一晩おいて推敲し直してから公開してます。(苦笑)


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