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自分がどう生きたいのかを見つめるときに読む、内村鑑三さん『後世への最大遺物』


読むたびに心が震える本がある。

内村鑑三さんの『後世への最大遺物』だ。



明治27年、基督教青年会夏季学校で語られた内村鑑三さんの講演が、記されたものだ。

去年6月、どこかで紹介されていたこの本が気になり、初めて手にとった。
明治当時の言葉遣いが少し難しく、ところどころ読み飛ばしながら読んだのを覚えている。

とてもじゃないが読みこなせてなどいなかったと思う。

だけど、なぜか痛烈に、胸に響いた。
心が震えた。

出会えてよかった。
そう思った。

それから何度も何度も、読んでいる。


この本は「読む人を選ぶ本」だと思う。
内容が専門的だとか高尚だとか、そういう話ではない。

読むタイミングによって、響き方が変わる。
自分の人生とまっすぐ向き合うときに最も心に響く本だと思うからだ。

初めて読んだときと再読したとき、感じ方がまるで違う。
読むたび理解度が増すせいもあるが、昨日が、これまでで一番響いた。

今。
何のために生きているか、どう生きたいか、自分自身を見つめる時期にある。
その中で、この本を開いた。
初めて読んだときよりも、一文字一文字が語りかけてきた。


内村鑑三さんが放つ言葉は美しい。

私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくない。

そして、力強く、あたたかい。


わたしたちはどう生きて、何を成すべきか。
「後世へ遺す遺物」として、次の4つが語られている。

1つ目は、お金。

お金に対する偏見は当時もあったようだ。
しかし、後世の人々が使える遺産金を遺すことは、誰にでもできることではない偉業である。

2つ目は、事業。

お金を稼ぐのには才能がいるが、お金を使うのにも才能がいる。
事業を遺すことは、後世に永遠の喜びと富とをつなげることになる。

3つ目は、思想。

思想を遺すことは、後世で事業として成されるための種まきになる。
思想を遺せるのは、教育者や文学者だけではない。
大きなお金を稼げずとも、大事業を成せずとも、教育者でも文学者でもない、ただの自分の考えを、言葉に書き遺すことができる。
何者でもなくても、その人自身が語る言葉や経験、そのままに価値がある。

そして4つ目。
最大遺産として「勇ましく高尚な生涯」が語られている。

平凡で普通な我々の誰もが目指すことのできる遺物であり、しかし誰でもが成し得ることができない最大の遺物。

今、どう生きるか、後世のために今のこの世をよりよくするためにどんな日々を積み重ねていくか。
その姿勢、生き方そのものを、後世へ遺すべき最大の遺産だと解いている。


この本は、「あなたは勇ましく生きていると言えるか」と問うてくることはない。
「この世に生きるわたしたち全てが、未来をつくる大切な存在だ」と寄り添ってくれる、とてもあたたかい本だ。

だから、自分の生き方を見つめるときには、この本を開きたくなる。

4つの遺物とどう向き合っていくか。

人生に対し、今、どのように向き合っているか。

自分に問いかけ気づかせてくれる本でもある。


わたしには夢がある。

夢に、人生に、勇ましく向き合っていきたいと思う。


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