「有料化に踏み出せない」。
noteにはクリエイターがいっぱいいる。
僕はnoteのおかげでクリエイターが大好きになった。
noteを見てると新しい価値観に出会うことができて
新しい表現に出会うことができる。
僕はこんな感覚を体験している時は心が喜んでいることを実感できる。
おもしろい考えを持っていて、的確な表現力を持っていて、想像を膨らませてくれる文章力を持っている。
僕はnoteを初めて1週間ぐらいだけど、
ここまでインターネットの恩恵を実感したのは初めてだ。
素早く手軽に電話とメッセージの機能がついているLINEもインターネットの
発達による便利なもので人と繋がれる。
でもnoteは人の考えと繋がりやすくなってるんじゃないかと思う。
今までブログがあったと思うけど僕はほとんど利用したことがなかった。
noteはおもしろくて大好きだ。
そしてコンテンツを発信するクリエイターが大好きだ。
noteをみてるとこんな記事があった。
「将来、有料化にした記事を出したい」
「有料化も迷ったけど、こんなコンテンツは他で無料で手に入るし、まだまだボリュームが必要だ」
「中途半端なクオリティで有料化して購入者をガッカリさせたくない」
僕も有料化のコンテンツを作りたいと思ってる一人なので気持ちがよくわかる。
「今の自分はまだ有料化ははやい」
こう思ってるクリエイターは多いんじゃないかなと思う。
だから僕自身に言い聞かすという意味でも、
その有料化に一歩踏み出せる勇気をこの記事で表現できて
いけたらいいなと思って書きます。
コンテンツを作るのって本当に時間がかかる。
愛情も注ぐ。
でもそのコンテンツのクオリティが高く無ければ
読んでもらえないし、見てもらえない。
ましてや、有料でお金をもらうなんてできない。
僕もそう思ってた。
でも最近はクオリティが高いものじゃなくても
有料化していと思った。
僕はコンテンツのクオリティではなく、
コンテンツを作る過程の「努力」にもっと価値をつけるべきだと思う。
努力も頑張りも人によって違う。
「歩く」という誰でもしている行為。
「歩く」自体は誰でもできるしクオリティは高くない。
でも赤ちゃんが立って歩けるようになるには時間がかかるし
努力も筋肉も必要で、これまできっと何度も失敗してきてる。
でも僕は赤ちゃんよりもバランスよく歩くことができて
スキップもジャンプもできるし
走ることもできる。
これがクリエイターとしてのコンテンツだとしたら?
赤ちゃんより僕の方が価値があると言える。
赤ちゃんは「無料」僕は「有料級」だ。
でも赤ちゃんの今までの頑張りや失敗に全く価値がないと
言えるだろうか??
きっと健康な大人の僕が歩くより
今まで歩けなかった赤ちゃんがテーブルの足を一生懸命掴みながら
立ち上がり、今にも倒れそうにバランス悪く歩き始める
こんな瞬間を目の当たりにした方が人は感動すると思う。
今の位置からの努力や頑張りの伸び代や成長率で
どんなクオリティだろうが価値を生み出せるんじゃないかと思ってます。
というかそうなって欲しい。
クリエイターとして頑張ってるのに
自分の価値をコンテンツのクオリティだけで判断して
有料化や次のステップに踏み出せていない人っていっぱいいると思う。
今は情報社会のおかげでいろんな情報を個人が取得できる。
インターネットでどんな作品がどのぐらいの値段で商品化されているかわかってしまう。
だからそのコンテンツのボリュームやクオリティと今の自分技術を比べて
「自分はまだまだだ。」とか「この内容じゃ有料化できない」と勝手に決めつけてしまっている部分ってあると思うんです。
それってすごくもったいないし、もっとクリエイターは評価されていい存在だと思ってます。
作品を作るのには時間がかかる。
考える思考や発想も必要で、お金も技術も必要。
そんなに愛情を込めた作品が
「他と被っている」とか「他の作品はもっとクオリティが高い」とかで
価値がなくなるわけがない。
頑張っている人はみんな「赤ちゃん」だ
今の自分にないものを求めようと努力しているから。
赤ちゃんは今までできていなかったのに、
好奇心で新しい自分を作り上げていく。
自分が赤ちゃんだということを自覚してもいいのかもしれない。
そして自分が赤ちゃんということを公表していいのかもしれない。
僕は
綺麗な自分だけ見て欲しいし
かっこいい自分だけ見て欲しいし
いい作品だけを作りたい。
とそう思ってる。
でもそれだけだといつの間にか心が窮屈になる。
こんな僕は実は完璧主義者気味。
僕がnoteを始める前のことだが
いつまでもリリースできない。
いつまでも思考ばかりで行動できないでいた。
失敗が怖い。
「もしも〜だったらどうしよう。」と
いつも完璧を目指してた。
そのためには準備準備準備。
でも準備じゃ誰もみてくれないし
準備じゃお金は入ってこないし
準備だけじゃモチベーションは続かない。
だから途中で辞めてしまう。
noteでは自分を取り繕う必要ってないんじゃないかって思う。
自信を持って今の無力さを公表していいし
自信を持って今の作品を公表していいし
自信を持って有料化していいと思う。
周りと比べたらキリがない。だからクオリティの代わりに
自分の作品にかけた努力や愛情をブランディングしてあげることが大切だと思う。
そして自信を持って失敗していいと思う。
こんなこと言ってる自分は今も失敗が怖い。
でもそんな自分を改善したい。
noteを発信する今は「7割のできでもいいからリリースしろ」と自分に言い聞かせて半分強制で投稿ボタンを押してる。
リリースして、不安になって改善する。
「nowで見られてるんだ」と意識することによって自分に拍車を掛ける。
その焦りがより生産性を生む。
これまでは「まだ100%できてない」といつも改善改善を繰り返して
周りと比べて、それよりもいいコンテンツを目指してた。
でも僕には文章を作る技術もないし
茨城に出身なんですが、茨城県一すごい技術も
関東一すごい能力も、日本一素晴らしいコンテンツも作れない。
そんなの当たり前なのにインターネットですごいコンテンツと比べて
いつまでもリリースしない。
僕は1つの作品に10年20年かける気なのか?ってぐらい。
クリエイターであればいつそれで飯を食えるのか?いつそれでお金を生めるのか?10年後か??
果たして10年後にリリースしたその作品はまだ需要があるのか?
その作品は10年かけて全く改善の余地のない完璧の作品なのか?
完璧主義は本当に直したい部分でかなり気をつけてる。
みんな頑張ってるんだからその部分でもっと価値を生めると思う。
「中途半端な作品を有料化したらファンの人の信頼を落としかねない」
僕も考えたことがあるが実は慢心かもしれない。
有料化したとしても必ず売れる前提でものごとを考えてる。
本当は誰一人買ってくれないかもしれないのに。
そしたらコンテンツの内容の改善以外にマーケティングを学ぶことが大切だと初めて気づくかもしれない。
もしそうだとしたら有料化リリースが遅ければ遅いほどそれに気づくのが遅くなることになる。
逆に想像以上に満足してくれるかもしれない。
人は無料のものより有料のものの方が大切にする。
だから同じ文章でも有料のもの方が大切に読んでくれて
視点が変わってくるかもしれない。
それ以外にどういう層に満足されてどういう層には改善が必要なのか?
もっとフォロワーの属性を詳細に分けることができるかもしれない。
先に進めばまた新たな問題が出てくる。
そのたび僕らはそのステップの「赤ちゃん」になる。
そしたらまたその伸び代を価値の一つにしたらいいと思う。
とここまで随分の経験者らしい物言いをしてきたけど
そんなことなくて
完璧主義気味の自分自信に言い聞かせるためってのが大きな一つで、もう一つは
大好きなクリエイターが自分の行動範囲を自分で線引きしてしまうのは
すごくもったいなくて、もっと自信を持っていいと思ったからです。
インターネットでは世界中と繋がれるからこそ
コンテンツのクオリティだけで勝負するのはキリがないです。
もっと自分の赤ちゃんの部分を公表して
もっと自分のコンテンツに対する愛情を表現して
もっと自分の頑張りや努力を表現して
もっと自信を持って有料化して
もっと自信を持って失敗して
もっと改善して
「やりながら学ぶ」ってことが大事だな。
とこの記事を書きながら自分自身で思いました。
クリエイターさんのみなさん
いつも価値あるコンテンツをありがとうございます。
大好きです。
自分のできないことを公表してそこからの伸び代や成長率を価値として
提供できると思うんです。
みんな頑張ってます。
その個人的な物語に感動を覚える人が絶対います。
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