一緒に居るということ

先日まで放送されていた、おかえりモネから。その中でも1つのテーマだったと思っています。ヒロインである百音ちゃんの、素直で丁寧で、強く優しい姿がとても印象に残った、大好きな朝ドラになりました。

菅波先生(坂口健太郎が演じる医師)は、ドラマ内で、未来を考えるという事。と言語化していました。『居る』と『考える』は背中合わせな言葉のような気がします。『居る』というと視覚的に、現実に、実像として、みたいな強い言葉に感じます。フィジカル。一方で、『考える』という言葉は、なんとなくぼんやりとしたような、実像がない言葉のような気がします。スピリチュアル。

一緒に『居る』相手との、共有した時間とか体験とか、その値に比例して『考える』という言葉の厚みが増す気もします。存在する強さもわかる。ただ、その要素が足りて無くても『考える』ことはできて、それを繰り返すことで、そこには『居る』かのような、足りていない部分も補うことができるような気さえしてきます。極端な話をすると、例えば時空が違っても、返ってそっちの方が思いが深まったりする。

一緒に居る。一緒というと、狭い特定の人だけに向けた言葉ではなくて、その人の役割によって様々な方向に向けられていると思います。
繰り返される生活の中で、例えば、彼は目の前に存在する、現実に触れられること。一緒に『居る』ことが身体で実感できる距離感を重要視してみたり。時に、彼女は一緒に『考える』『考えた』事実や結果から、距離や時間を補い相手が存在するような、そんな距離感を十分に受け入れて生活をしていたり。僕にとっては。あなたにとっては。どちらに重きを置くかは、根底は変わらずとも、タイミングとかキャラクターによって少しだけ変わってくるような気がします。時にはそれが少し棘を持ってしまったり、一方では優しく背中を押してくれるような、そんな存在になるかもしれない。多様化する今だからこそ、十分に理解した上で、揺るがない気持ちを持って穏やかに生活する方法を見つけていければいいのかなと思っています。

最後ですが、テーマ選定で迷った自転車の写真でも載せて終わろうと思います。友人から譲り受けた私の大事な自転車です。古い自転車みたいだし、素人の自分がメンテナンスしたり、不安も多いです。毎年春には自転車のプロにきちんと診てもらい、楽しく乗り続けています。ラブリー!

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