こころの備忘録

こんにちは、mono(モノ)という者です。

自分は今、私立大学の大学院修士課程で勉学に励んでいる身です。今年で2年目となり修士課程を修了するなかで感じたこころの持ちようについて備忘録にしたためた次第です。また、このノートを読んで共感してくれたあなたの助けになればいいと思い、公開しています。

「優しい環境」でも「病む」

がっこうぐらし!1巻

自分が所属してる研究室は、特段ブラックというほど大変ではありませんでした。しかし、修論を書いていく中で、自分は研究を進めることができなくなって行きました。結果的に「うつ」と同様の症状が発生し、研究室への足取りは重くなる一方でした。優しい環境においても病んでしまったその原因を素人ながらも考察していきます。

きっかけは小さな「逃げ」と「自己嫌悪」のループ

そのきっかけとなったのは、自分の研究が一段落を迎え、ある程度の成果が出ているということで学術論文への投稿をしようという話になったとき、その研究において初めて「逃げ」ました。なんのかんの理由をつけながら投稿できない旨を教授に伝えました。今思うとこれがきっかけであり、しかしながら、やむを得ない状況でもありました。そこから自己嫌悪と申し訳無さによって、気が乗らず、研究が進まない。研究が進まないため、自己嫌悪するという悪循環が始まりました。

拍車をかけた「嫉妬心」と「承認欲求」

ダウンロード (1)

上記の悪循環の中で更に拍車をかけたのは、自己評価の基準が他者に依存していたからです。とどのつまり、「研究者としての承認欲求を満たされることが全てである」としてしまったのです。つまり、自分の研究者としてのステータスは、「教授」・「学会」で評価されることであり、自分がどれだけ努力しようが「研究成果」「結果」としてでしか評価できないという自己評価をしていました。そんな評価基準では肥大化した自己嫌悪ループに囚われている自分は、評価しようがないほど「悪い」対象でした。また、状況が悪いことに自分には同期がいました。彼の研究は卒論の時点では、あまり大きな研究成果は得られていなかった。しかし、修士となり彼の努力の甲斐もあり、大きな成果や展望が語れる程に研究は成長していました。方や、研究が進まない「終わった」研究。方や、最近波に乗っている研究。自分のちっぽけな研究者としてのプライドは砕け散り、自己嫌悪はさらに大きくなっていき、雪だるま式に体は動かなくなっていきます。しかし、自分にはどうすることもできない。逆にどうすることもできない自分に自己嫌悪し、更に状況が悪くなるという始末でした。

・・・で、結局どうすればよかったのか

画像4

自己嫌悪ループの最中では、自分の悪いところしか見えず、とても辛いです。とてもつらくどうすればいいのかわからない時、ふと思いました。

「なんで俺がこんな辛い目に合わないと行けないんだ!!!!」

冷静に、客観的に原因を探しました。自己嫌悪ループに入っているときには「自分が悪かったから」と結論を急いでしまいがちですが、考え直してください。自分が悪い行動をしてしまった原因があるはずです。その時は自分も「これは悪い」と自覚しながら行動していなかったはずです。自分の判断ミスだったとしても、「誰々に何か言われてイライラしていた」だったり、何らかの他者の介入によって引き起こされていると思います。最悪でっち上げてもいいと思います。つまり、「自己嫌悪ループは自己ではなく他者にある」と信じることで自分はそのループから開放されました。なぜなら、自己嫌悪の論理破綻し、パラドックスが怒るためです。つまり、「自己が悪い原因であるため自分を嫌う」自己嫌悪が、「他者が悪い原因であるため自分を嫌う」他者嫌悪に変わったからです。その時、長年胸にあった圧迫感が嘘のように軽くなりました。

『僕は悪くない』

画像2

今考えると、自分は人に優しかった、優しすぎたのだと思います。必要以上に他者を助けるあまり、背負わなくてもいい重荷を背負い、勝手に潰れた馬鹿なヤツでした。自分の境遇がすべての人と共通であるとは思っていないため、実際背負う必要がある重荷の場合もあるとは思います。しかし、人の持てる量は限りがあります。自分の限界を無視して、持とうとする必要はないです。その場で「これは、持てないわ。無理。あなたが持って。それか手伝って」といえば済むのだと思いました。

うつの自分はマージン(余裕)の認識が違う

ダウンロード (2)

人が責任という名の重荷を背負う場合、マージンがあります。つまり、自分のキャパシティ(重荷が持ち上がらない)の認識と、簡単にできるキャパシティ(軽々持ち上げれる)の認識との間に、自分を守るマージン(余裕)を持ちながらできるキャパシティが存在すると考えています。

マージン

この認識の差によって「自分はこんなにつらいのにわかってくれない」という状況が生まれていると感じた。

本当にダメになりそうなら

また、本当にダメになってしまって希死念慮がふつふつと湧き上がってしまっている人もいるかも知れません。自分もそうなりかけていました。そんなあなたは背水の陣戦法をおすすめします。もしダメだったらこうすると心に決めてしまえば、怖さが減りました。自分の場合、「もしダメだったらどうしよう」と言ったり考えているときは、単に怖いことから顔をそむけ、安心感を求めているときです。だったらいっそのこと、もしこうなったらこうすると決めてしまえば、その物事に集中することができます。ただ、一度に死という三途の川に背水の陣を引く必要は絶対にありません。所詮そのコミュニティーを抜けてしまえば人は、絶対に変われます。ですので、こまめに背水の陣を引けば何回かまだチャンスが残るので、まだ人生というゲームを遊べると考えましょう。少なくとも自分はそうして踏ん切りが付き、乾坤一擲の思い切りよく、物事を進めることができました。

最後に

自分を冷静に・客観的に分析して、他者に責任を放り投げることで、自分は自己嫌悪ループから開放されました。「こんなこと知ってるわ」「これは間違ってる」「そんな状況ではない」おっしゃる通りです。あくまで、病院に行く勇気もなく、どうにかして前に進める方法を自分で考えただけです。現代の心理学ではもっと簡単に直せたり、そもそも自分で病気と決めつけていただけで病気でもなんでもなかったのかもしれません。ただ、そのときは自分は本気で悩んでいたし、このチラシの裏のような雑な記事で、共感を得られた人たちの背中の重みをちょっとでも軽くできれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?