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過ぎた時間に向き合う。何が私を止めてきたのか

ここのところ身の回りで大変なことが続き、電話で話を聞いてくれた友達に 「塩を盛れ!」と言われた。
人生で初めて塩を盛り、玄関に置いた。

ここしばらく何年もぼんやり過ごしてきてしまったことのツケが回ってきて、その客観的な事実にようやく向き合い、気持ちが落ち込んでいる。
育児や病気やその他諸々、言い訳が得意な私はその都度なにかと言い訳をして社会復帰を諦めて先延ばしにしてきた。
振り返ってみて、たしかにその時々で体力的に余裕はなかったのだが、在宅ワークが普及した今、器用な人であれば全く違う年月を過ごせたのだろう。

求人情報サイトで在宅の仕事を見ているが、それだけでも、いかに自分が知らない世の中が広がり蠢いていたのかに気付かされる。この時点で井の中の蛙だということを痛感させられているのだから、社会に出られた時はもっと驚かされるのかもしれない。

なぜ家にこもって無為に時を過ごしてきてしまったのか。なにが自分を止めたのか?
「自分に何ができるかわからない」
「嫌な人に会いたくない、メンタルを乱されたくない」
「キャリアアップしていける道筋を立てられない」
今思いつくのはこの辺り。

今の時点で『嫌な人に会いたくない、メンタルを乱されたくない』というのは自分の中で心の改革を行なって問題から除外することにした。
社会の中で人と交流して生きていれば、嫌な人には会うし嫌な思いもすることは避けられない。
でもそれに対して反応する自分の心にフォーカスする生き方はやめよう。自分はなにを考え、どうしたいか、何をしたいかにフォーカスして生きようと思考を改めた。その日どうしたいかに集中していくこと。

過ぎた年月は戻らないからしょうがない。自分は何をしたいのか、何を大切に生きたいのか、思索の時期。

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