帰省、東京

ドアtoドアで、東京から実家までは2時間強。
往復にかかる費用はだいたい3000円。
この時間と金額について、大学生の頃からずっと考えているのだけれど、うまく説明がついた試しがない。
うまく説明がついた試しがないので、言葉を、知識を入れるのだけれど、骨がないまま、ぶよぶよと思考ばかりが肥えていく。
卒論を書き、それでもなにも言えず、大学院に行けば、と思って修士論文を書いたが、何の区切りもつかなかった。

その肥大した思考はたまにエネルギーになるが、自分の身体を重くしていることがほとんどで、呆れる。

東京に憧れを抱いたことは無かった。
身近の大人は皆東京の大学を出ていたし、伯母はずっと東京に住んでいた。だから、生まれた時から東京は身近にあり、そこは覚悟を決めずとも行ける場所だった。
本を読むのとブロック遊びが好きだったおかげで、学校の成績は良かったので、進学校に進む、そして大学に行く、大学は東京に存在しているもの、と思い込んでいて、その思い込み通りに進んだ。
ただ、14歳の時に伯母は死んだ。俺は、伯母が生きていた東京しか知らない。伯母が生きている、母や伯父が語る東京に住むことが当然と思っていたのに、その東京はこの先永遠に存在しない。

だから、一番最初に書いたように、たかだか2時間、3000円の距離でそこに到達することを、うまく飲み込めない。

東京について考えることは、故郷について考えることだと思う。そして、故郷について考えることは、東京について考えることでもある。

付け加えるのならば、そして、薄々気づいてはいるのだけど、俺はその、故郷と東京のどちらかを、自分自身の100%にすることができない。
49%と51%の間の2%を、絶えず揺れ動いている。
その微弱な振動は、俺に音の波となって「存在せよ」と語りかけているような気がする。

東京を「都市」、そして故郷を「ロードサイド」と括弧で括って、自分の中で区切りをつけて、そして居場所を見つけることも可能だったのかもしれない、と思う。俺は東京も故郷も愛しているし、どちらも愛していない。だから、どちらについても考えなければいけない。いまはその思考を、自分の存在から考えている。

今日は母親のiPhoneの設定を行った。ボロボロになったガラケーを見ると、7年前に取り壊した、母親の生家が待ち受けだった。俺もそこに6年間住んでいた。
いまは、かつての自分の部屋だった場所のベッドの上でこの文章を打っている。壁紙は日焼けし、汚れが目立つ。

父親がタブレットを欲しがっていたので、それを購入した際にスムーズに設定できるように、と、Googleアカウントを取った。パスワードを設定する段になり、絶対に捨てない本のISBNコードにしよう、と提言したら、ベッドの下から、亡くなった祖母の本を出してきた。

俺が小学1年生の時に建てた家に、俺の家族は住んでいる。
俺もギリギリで毎月家賃を払いながら、東京に住んでいる。
足元には、何層もの過去が積み重なっている。俺の住んでいた部屋には誰かが今も住んでいるし、俺が今住んでいる部屋にもまた誰かが住む。そして俺の家は、いずれ、必ず無くなる。俺の家族が住んでいる家も必ず無くなる。

49%と51%の比率だって、いつ変動するのかわからない。だからいまは、俺は、存在し、存在から世界を見なければいけない。何も分析せず、しかし思考を止めてはいけない。動かなければいけない。後手に周ってはいけない。刀を磨いている時間なら充分に設けた、と思う。

玄関先でタバコを吸っていたら星がよく見えて、飛行機が飛んで、少し遅れてジェットの音が聞こえ、タバコの煙が空にゆっくりと舞い上がっていくのをみながら、俺は、これを、何かに変換する力を持っていない、と思った。
これは風景ではない。これは映像ではない。これは状況である。東京から、故郷に帰った俺のみが置かれている状況である。その状況は、俺の存在と俺を取り囲む全てのものの間に存在している。
その俺と世界の間にあるものを、俺はどうしたいのだろうか、と、自分に問いかけている。

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