生活だか暮らしだか知らないが、黙れ

そして俺は、10年前と同じ街に戻ってきた。

俺は俺の人生を生きるのだ、俺の人生は誰のものでもない、俺は俺である必要があるし、俺が俺を「やっている」限り、俺は俺にはなれない。

10年前、俺は俺をやることに必死だった。大学生だった。俺は日々、自分が何を思考しているのかを考え、それをツイッターやbloggerに書き殴っていた。
自分が何に苛立っているのかということを、常日頃、鋭くて強い言葉にすることが、俺をやる、ということだと思っていた。

その一方で、
マルちゃん製麺を食べたりしていた。
風呂に入ろう、と思って3時間が経ったりしていた。
初めて自分で作った野菜炒めのマズさに嫌気がさして、野菜炒めの作り方を覚えたりした。
遊びたいがお金はないので、街に出る理由と目的をカメラに預けて、街を歩いたりしていた。

これらは、「俺をやる」ということと、まったくもって無関係だった。
そして、俺は、野菜炒めを上手に作れるようになる頃、だいたい2013年くらい、Twitterのフォロワーが2000人くらいになって、何を言っても数値化された人気、ようなものが現れ、それを気持ちよく思っていた。俺は俺をやれていると思っていた。

1年間、実家に帰って大学院に入る勉強をした。
俺は大学院生になり、横浜にある大学に毎日クロスバイクで通っていた。国道沿いに住んでいたため、騒音がひどく、毎日、狂ったように自炊をしていた。
狂ったように自炊をするとどうなるのか。
一人にもかかわらず、シシャモのフリッターに野菜甘酢タレをかけたりするようになる。
トライアンドエラーが楽しくなり、日々、ハンバーグをこねたりする。無論、カレーもスパイスから作られよう。
言わずもがな、コーヒーはお気に入りの店を見つけ、お気に入りの豆を見つけ、それを自分で挽く。ハリオのV60のケトルを買った。

それをツイッターにアップロードすると、たちまち俺は顧客を獲得した。
ちょうど、皆が、それぞれの人生を「やっている」様をTwitterにあげることで、人格を獲得するようにらなった時期だった。

この時点で俺はもう野菜炒めを作らない。マルちゃん製麺も食べない。写真は、ツイッターにアップするために撮っていた。
フォロワーは増える。

なんだかなあ、と思っていたら修士論文の時期になり、毎日白米とコンビニのコーヒーとアメスピのみを摂取し、3日で4万字を書いた。酷いあり様だった。

修士論文を提出した後の部屋を見ると、床には本が散らばり、服は満遍なくタバコ臭く、口の中は荒れ果て、4月からの社会的立場は無く、それらが、大学院の2年間を無碍にしたという事実を実感として強くしていた。

俺は、俺を「やっている」うちに、俺ではなくなっていた。ツイッターのアカウントを消した。

そして俺は2019年の秋に、今の街に戻ってきた。
毎日の暮らしも、友人も、すべて、俺のためにあると思っている。そしてそれらは、俺が勝ち取ってきたものだ。
俺が努力をしてきた、現時点の到達点として、俺はさっき、久しぶりに、まいばすけっとでキューピーのパスタソースをスパゲティにかけて食べた。

それを笑うのであれば勝手にすればいい。自分を追いかけているうちにフォロワーの数が増えてしまった人たち。匿名性の檻の中で、身元を隠すごっこをしながら、互いの生活を撫であっている人たち。

悪いけど俺は、あんたらのおすすめする生活に、微塵も興味がない。あんたらが「やっている」ことは、フォロワーの数以外に、説得力はない。なんなら、フォロワーの数でイキっている限り、あんたらは俺の人生に干渉できない。

これは、かつての自分に言っている。
同級生を、「同級生」という単位で切り捨てようとしていた、かつての自分に言っている。成人式へのヘイトを書き連ねてフォロワーを稼いでいた、かつての自分に言っている。カレーのスパイスを調合しながらツイッターに実況中継していた、かつての自分に言っている。
それらを無碍にするわけではない。
ただ、そこで出会い、今も仲の良い人は、もうフォロワー稼ぎのゲームからは降りているし、俺の誇るべき愉快な友人たちは、ツイッターなんか、寝る前の5分に見る程度なのだ。

だから、俺は俺の街で、俺の人生を生きることにした。10年前の部屋より家賃が五千円安い、この、ラーメン屋の上にある部屋で、俺は俺を生き始める。

だからどうか、あなたたちの暮らしを見せつけないで欲しい。俺の目の前で下着姿になり、その下着がいくら優れているのかを柔らかい言葉で言い続ける限り、俺は、あなたたちを無視することしかできない。

ルサンチマンなら勝手に向けてくれ。それを燃やして自分が頑張れるなら好きなだけ頑張れば良い。俺は誰かのためにイケてるわけではない。俺のためにあるだけだ。

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