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すずめの戸締まりを観て…
何度もなんども、心をぎゅっ…!と掴まれて、離されて…
本当に、猛禽類の爪にわしづかみにされたみたいだった
いまもまだ、帰って来れてないようで、でもこの感度と温度で感じたことを書きたいな。
こころがあたたかい
・・・・・
この人生で、ひとの命には限りがあると知ったとき
後悔のない人生を生きようと懐いました
生きていると、無気力になったり、面倒くさくて後回しにしたり
身近にいる人の短所ばかりが目についたり、うざったく思ったり、お金と時間に制限されたりして
どこか自分自身と真っ向から向き合わずに、眠たい目をしてなんとなく時を過ごす。
わたしはそれもひとつの幸せのかたちだと思う、単純な良し悪しじゃない世界
でも、わたしは自分自身に真っ向から生きてほしかったのかもしれない
いつか人はまるで幻だったかのように、さらさらと消えゆくものだから
じぶんもまた、同じだから(魂は不滅だとしても、このからだは…)
自信がなくてもやりたいと思ったことは思いきってやろう
関わりたい人には勇気を出して関わってみよう
身近な人に、出会えて嬉しいと感じた人に、日々愛を伝えよう
アツくても、厳しくても、本心を話そう
そこに賢さや計算や正解は、要らないから…
と必死に、切実に、駆けるような想いで居るようになったことがある
それは思い詰めすぎかもしれないし、熱すぎるかもしれない
他者がいなくなる恐れに駆られすぎているのかもしれない
でも、人は永遠に生き永らえると錯覚しながら生きているのも、わたしにとっては本当ではない
きっと、永遠が在るかのようにのんびりと生きるのも、いのちの儚さを想い駆られるように生きるのも
両方の時期や体験が、あっていいのだとおもう
そんな正解のないようなことを、正解などいらないことを、一人考えながら歩いていた
わからないけど(わからなくていい)、ただ、こんなにも心があたたかい。
心を引き裂かれた体験もあったし、今もきっと心の奥にそのかなしみは残っている
だけど、その体験をした後悔も、じぶんへの哀れみも、一ミリも無くて
悲しみも、喜びも、すべてが等しく美しいと、いまは感じている。
こんなにもあたたかく震え、感じる心がすぐそばで灯っていることに、愛おしくなって、有難うと噛みしめているときに
眺めている夜空に一条の星が流れて
やっぱり取り繕わずに、わたしらしく全力で生きようと懷った。
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