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私の愛と地獄

まずこれを誰かが読んだのなら、自分を比較しないでほしい。私の私に対する絶対的評価であって、内側の世界の話であるから。少し生きてみて、考えたことを、少しだけ、ここに記します。

私は今までの環境のせいか、または性格というか、とにかく考え込んでは何かに頼ってギリギリを生きていたような気がする。生きていたのか、ありがたいことに私は嫌なことを忘れてしまうので、その時の自分を軽蔑したくないが、とにかく、悩む人間だった。大袈裟に思えるかもしれないが、幾度となく、私は地獄を見ていた。それだけは確かに覚えている。何度も何度も地獄を見た。自殺願望どころではない地獄である。それは「死にたい」止まりではなく、「死にたい」と思ってしまう自分を殺したい。生きてたいのに、朝が来ないで欲しい。その原因やその時の感情を細かく記憶していないため、「地獄」と表現している。

今私は地獄にいない。
つい最近まで隣にあったのに、私は今どこにいるのだろうか、今までの世界とはまるっきり違うところにいる感覚だ。周りの環境が変わったのか、または自分が成長したのか、私は自分を責めることが無くなった。俗にいう自己肯定感が高いのである。それだけでなく、頭の中でいつも聞こえていたような声も聞こえなくなった。幸せかと聞かれたらわからない、だけど、不幸ではない。決して不幸ではない。今までの地獄が今となっては私を支えているような感覚で、全て自信になってしまう。私は何度も乗り越えたから、もう大丈夫。そう思える。自分も大人になったなと思う。周りの人にも感謝したい、私を友達にしてくれてありがとうと毎日思う。

母は厳しい人だ。この世で一番真面目で、厳しく育てられた。そんな母の忘れたくない教えがある。「実際に起こってないことを不安がってネガティブになるのはやめろ」といわれてきた。心配になるのは人間として正常な働きであって危機管理能力であるが、それを過剰に使っていてはいけないと私も思う。今もたくさん不安の根元はあるけれど、多分大丈夫。だから私は明日の朝ごはんのことだけを考えて眠りにつけばいい。

いつもならツイートするような内容だけれど、自分への戒めとして、1000字のメモをここに残します。

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