「○○に似てるね」が嫌い


「あなたと○○さんって似てるね!」

みんな人生で必ず1回は言われたことがあるだろうセリフ。
特に私に似た人はよく見かけるらしく、親ときょうだいに言われまくっている

その報告を聞く度、「どこが似てた?!」と興味のあるふりをするけど本当はそんなの全然興味ないしなんなら聞きたくない。


だって自分に似た人の話聞いてなにが面白いんだよ!!!



いやでも、気持ちはわかる。知り合いに似た人を街で見かけたらあ!ってなるしつい話したくもなっちゃうよねわかる〜。
だけどそれって

その個人を蔑ろにしてないですか?




きっかけ

今日、バイト先で「○○さんとかたまりさん、後ろ姿すごい似てるね」って言われたんですよ。
わたしと似てると言われたその子が可哀想すぎてとりあえず「え、髪切りましょか?笑」って言ったけど~~~~

「店長とも話してて雰囲気とか似てるよね」って言われたまでは良かったんです…
そしたらそこに常連のおじさんが来てじろじろ見比べながら

「にてるなぁ‼️きょうだいか?!」

とか言うからぶん殴ろうかと「違いますぅ〜^^」って返したのに「いや〜そっくりだよ!どっちがどっちかと思った〜!」って言われちゃったよ〜



なんで「似てる」が嫌いなのか考えた


んですけどこれって

  1. 唯一無二である自分が他者とひとまとめにされたから

  2. 「似てる」という言葉でくくってそれ以上中身を知ろうとしないこと

なのかなぁと思ったり…

1については、やっぱり人間の自尊心的な問題で「自分は自分にしかないものがある」という「唯一無二感」を大事にしたい生き物だと思うんですよ。
なのに、その

自分が積み重ねてきた自分らしさとか唯一無二感をなかったことにされてる

みたいに感じてしまうのかなと

特に私は昔から誰かに愛されたいという願望がめちゃくちゃあって、もちろんこれはみんな持ってる気持ちなんだけど……その、言ってしまえば自分にしか注がれない無償の愛、みたいなものが心底羨ましかった。

幼少期の記憶


ここからは私自身の過去の話でもあるんだけど、私には歳が変わらない姉がいる。親はやっぱり1番最初に産まれてくる子のことを念入りに見るし、初育児だから何事にも慎重になる。だけどだんだん慣れて、育児に対する余裕とかが出てくる。ちょうど姉に手間がかかる時期に生まれた私は反対に全く手がかからなかったらしい。小さい頃の写真を見ると「姉がいたずらしないように」机の上に置かれた私がいたり、話を聞くと「気がついたら育ってたよ〜」と言われたり。
もちろんひとつひとつは悪いことじゃないしむしろ上手な手の抜き方してたんだな〜って思える例なのかもしれないけど、私はとにかくそれが嫌だった。

寝返りは見慣れてる(なんなら覚えてない)。服は必ず姉のおさがり。自転車を買ってもらうのも、それを使うのも通信塾を始めるのも先に姉から。大事な話も姉経由で聞く。

そういう小さい小さいことが積み重なって、あれ、私ってもしかして大事にされてないのかなって思ったのが小学校2.3年の頃。つい最近見返した日記にもこれとほぼ同じこととか体験が書いてあって、だけどたしか小5くらいの時にこの部分全部黒ペンで消した。消してもボールペンの筆圧は強くて光にかざせば読めちゃうんだけどさ。その時の私にはあまりに暗い願いで、消えてしまいたいって思ったのもたぶんこの時が初めてだった。

その後も順調に劣等感は形成されて、中学から頭の良さ・運動できるか・コミュ力が必要になる頃にはもっと格差を実感した。よくある、不出来な妹と反対にすごい姉の構図。高校の時にはもうそれをネタとして消化できるぐらいには成長した、でも本当は心の底で傷ついていたよ


だから、私はずっと誰かの一番になりたかった。だけど誰の一番にもなれないことがわかったから唯一無二のオンリーワンを目指した。

だけどこの「似てるね」って言葉ひとつで私が必死に築き上げてきたアイデンティティを壊された気がしちゃった。本当はそんなことは思ってないのも分かってるし、ただの被害妄想でめんどくさい奴なのはめちゃくちゃ自覚してるけど、それでもその言葉だけで私はいつでもちっぽけなあの頃に戻れてしまう

だから1.唯一無二である自分が他者とひとまとめにされた気がする からこの言葉が嫌いなのかもね


中身を知ってほしいから

長くなっちゃったけど、次は2.「似てる」という言葉で括ってそれ以上知ろうとしないことについて。

例えば、aとbを見比べた時に「似てる」って感想が出たらあなたは似てるところを探そうとする?それとも違う部分を探そうとする?ってこと。
似てるところを探して共通点だけ見つけて、似てる!っていうのは簡単なことだけど、似てないところを探してこことここが違うな、って考えるのはきっと全く違うことだと思います。肝心なのはそこからふみこんで両者を知ろうとすること。両者をよく知れば知るほど違うところが浮き出てくるはず。逆に言えば似てる、と言われるものを似てないと思えるのはあなたがそれに興味を持っているから。自分はそこまで関心を持たれる存在である、っていう意味ともとれるから、関心を向けてほしい私にはそれがすごく嬉しいことになる、って感じ。


まとめ

こうやってだらだら書いてきちゃったけど、結局何が言いたいかっていうと
「似てない」はアイデンティティ、似てる似てないではなくその人自身をみてあげてほしい
ということ。

似てるって言っちゃだめ、ってことじゃなくてそれはその人のがんばってきた証を結果ないがしろにしてしまっていないかどうかを見極められるといいよね、という話。

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