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走馬灯の尺

連絡先を知ってるとか、連絡を取るとか、ちゃんと会うとか、これまで培った一定以上の信頼の下でそれが成り立ってるわけで、誰でもいつでもそうはできんやろ。ここまで来るには時間をかける必要があって、でも崩れる時は一瞬で、俺含めて全員にチャンスが多くあると思うのは甘えで傲慢。一度愛されたからと言ってずっと愛されてると思うな。俺はお前らを大切にしたい。

誰かと爆発した時も独りで鎮火した夜も、早く忘れたいと思うこともあれば忘れたくないと思うこともある。1分も5時間も1年半も2年も7年も過ぎれば一瞬で、でも、待てば永遠とか言わんでくれ。

例えばそこに、楽しみで寝れない夜があったとする。
それと同時に楽しかったから寝れない夜もあったっていいじゃないですかね。

走馬灯の尺が2時間かは知らんが、エンドロールが終わって上映会場が明るくなってもすぐに立てないような物語であったとしたら人生全クリと同じだと思ってる。日々の中で走馬灯に値する瞬間を求めていきたい。

大量生産化されたエモが嫌い。真夜中のコンビニ、煙草、ラブホ、酒、フィルム調の画質、その他諸々。全部ラインの上をベルトコンベアに流れて来て、同じ色形した"冷め"になって流出してる。そもそもエモいとか言う定義のない抽象的な言葉が嫌い。エモいとか言わせない。

くるまがサーヤさんに「あの頃のまま会いたかった」って言ってるの見て、この2人にしか見えない距離感とその間にあった壁やらの存在を確認できた。苦しい。

君がこれまでの人生で、どれだけの人と出会いけんかして恋をして、何を好きになって嫌いになって、何を望んで諦めたのかなんて僕は知らない。そんなことより僕は君と朝になりたい。

「あなたが居なくても生きていけるけど、あなたが居ない中生きていきたくない」的な文読んで羨ましくなった。誰だってそうやん。

好きな人に好きって言える男がカッコよくて、好きな人に好きって言わせれる女の子が美しいけど、実際は会いたい人に会えなくなってからが人生本番だし、その人も俺が幸せにしたかったのに、それも余計なお世話だって思われてる。

ここ最近、久し振りに会った人に立て続けに「痩せた」か「丸くなった」って言われ続けている。痩せたことに関しては数字を見れば自覚してるけど、丸くなったんか俺は。高校の時はもっと尖ってた(棘があった?)らしい。いいじゃないですか。磨かれて角が取れて丸くなったなら。もっと磨いて光らせてくれ。

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