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陽だまりがひだまりになる話

陽だまり

太陽の光が作り出すあたたかい場所を指します。


 その陽だまりが、太陽じゃない光によって作られていた"ひだまり"だった場合、あなたは何を感じますか?


太陽じゃなくてもあたたかくて、居心地の良さを感じられればそれは"陽だまり"なのか、
太陽の光だからこその"陽だまり"であるため、太陽光じゃなければそれは"ひだまり"だとしても"陽だまり"ではないのか。

私は間違いなく後者の考えを抱いてしまいます。
たとえ人工の光が太陽と同じ温度で同じ明るさで数値的に太陽に値するとしてもそれは紛れもない電灯なのです。


そんな感情を抱く人が近くにいました。


私は一体何を見ていたのか、誰を見ていたのか。
どのレンズから私はあなたを見ていたのでしょう。
私の目のレンズではなく、あなたの為に作ってしまった「私のあなた専用色眼鏡」のせいかもしれません。


それぐらい、私じゃない誰かを「こういう人だ」と定める事は難しい事であり都合のいい事でもあると私は私に言い聞かせなければならない。


でも大事なのは"信じる事に勇気を持つこと"ですね。


なぜ大人になると、こうも窮屈な世の中を生きるのでしょう。


窮屈で面倒くさい。


しかし、これを愛する事こそが人間が人間らしく生きるという事でもある。



 このように、私はせわしなく考えては落ち込んだり心が躍ったりを往復することが多々あります。面倒だし繰り返して疲れたな、っていう日々を自分で作ってしまいます。

ただ、こういう事を肉声としての言葉で表現することで私の頭の曇りが晴れていく事に気づきました。


頭で考えるから悩むのだ。
口に出すから
歩くべき方向に足を向けられる。


"私の中で会話をするのではなく、
この世界の空気と会話をしなさい"

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