エジプト旅行記⑤ みんな普通に生もの食べてるじゃん!【2024.1.12〜28】
1/17 アブ・シンベル神殿 アスワン ヌビア村 ナイル川クルーズ
エジプト3日目
日の出前、午前4時に起床。
朝食前に真っ暗の中、
我々はガイドのハキムさんと
ホテルから車で船着場へ。
朝日のアブ・シンベル神殿に向かうためだ。
午前6時過ぎ舟はアブシンベル神殿に向かう。
やがて舟はアブ・シンベル神殿の
船着場に到着。
石段を上がると、
目の前はアブ・シンベル神殿。
すでにバスなどで到着の観光客も多い。
ガイドのハキムさんから
一通りの説明を受けて、
アブ・シンベル神殿に近づく。
アブ・シンベル神殿は、
紀元前1279年〜紀元前1213年まで
66年10ヶ月にわたり王位にあった
ラメセス2世が造った。
ヒッタイトとの戦い後、
世界初の和平条約を締結したラメセス2世が、領土の最南端のヌビア地方に
勢力を示すために造ったという。
1817年に発掘された
アブ・シンベル神殿は、
アスワン・ハイ・ダム建設のため
水没する危機にさらされたが、
1964年〜1968年にかけて、
ユネスコと世界50ヵ国の協力で、
現在の場所に移築された。
その事業は、
現在世界に広がる世界遺産の概念が
生まれるきっかけとなった。
いよいよ昨夜の音と光のショーで見た
アブ・シンベル神殿の内部に入る。
大列柱室の奥に小列柱室があり、
その先一番奥に至聖所がある。
年2回だけ、冥界の神であるプタハ神以外の
3つの像に差し込んだ朝日が当たるという。
さぞかしその朝は混むことだろう。
アブ・シンベル神殿の向かって右隣に
小神殿がある。
現代社会では政教分離と言われているが、
こうしてみると、
ラメセス2世は、まさに政教一致である。
古代でも油断していると、
どんどん周りの国から攻め込まれて
領土を取られてしまったり、
ファラオと言えども身内や神官に
殺されるなど権力闘争あり、
ファラオ自らの基盤の繁栄と
国民の暮らしを安定させるためには
政教一致も仕方なかったのだろうか?
それにしても、
戦いによって領土拡張を行うことで
自国と自らの権力基盤の
繁栄安定を望むことは、
現代ではもう時代遅れなのではないか?
しかしながら世界では、
それを理由に戦争が起こり続けている。
再び舟でホテルに戻り、朝食を取る。
朝食後、ロビーに行ってみると、
どこかで拝見した肖像画が
展示されていた。
ホテルをチェックアウト後、
ナイル川クルーズ船に乗るため、
またアスワンへ車で3時間かけて戻る。
クルーズ船に乗る前に
アスワンのスーク(市場)に行ってみた。
ガイドのハキムさんに連れられて、
とある香辛料屋に来た。
ここは日本人用の店だというが、
確かに日本語を話す主人がいた。
結局、
デーツ(ナツメヤシの実)の入ったチョコと
ミックスハーブティーがおいしかったので
サフランとかと一緒に買った。
値切ったら主人マジに怒っていたけど。
その後ようやく
車はナイル川沿いの船着場に到着して、
我々はガイドと共にクルーズ船に乗船した。
旅行前から、どんな船に乗せられるか、
正直不安だったが、
乗ってみたら極めて快適な船で安心した。
今日はあと日本人のツアー客が来るという。
食べ終わって少しのんびり休憩してから、
ファルーカ(帆掛け船)に乗船しながら、
ヌビアの村に行くことにした。
独自の文化に興味があり行きたくなった。
クルーズ船に戻り夕食
この時初めて日本人別ツアーの方々と
お会いした。
ひさびさに聞く日本語の会話。
料理は想像以上に薄味でおいしかった。
他の日本人のツアー客の方々、
明日の予定を添乗員から説明を受けている。
コム・オンボ神殿とホルス神殿に行くらしく
我々と同じだ。
ところで日本人ツアー客の方々
生サラダも冷前菜も生ジュースも
普通に取り分けて
普通に食べている。
それを見て、思った。
もしかしてお腹を壊している人
いないんじゃないか?
ということは、生もの食べても
大丈夫っていうこと?!
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