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各駅停車、地獄ゆき

「おやすみ」という声を思い出した。それは、当時付き合っていた人のお父さんの声だった。

当時の恋人は、わたしを家族に会わせたがった。恋人の家族も、わたしのことをいつも歓迎してくれた。一緒に食卓を囲んで、テレビを見たり、ボードゲームをした。週末にはショッピングモールにも行ったし、春には花見もしたし、冬にはクリスマスパーティーもした。
そしていつも、一日が終わる頃、彼のお父さんの「おやすみ」を聞いた。「おやすみ」という声に、家族のみんなが「おやすみ」と返した。わたしも「おやすみなさい」と声に出してみた。途端に苦しくなった。泣きたかったけど、涙は出なかった。

いつかの記念日でもらった手紙に書かれていた。

「僕も、僕の家族も、みんなしおりちゃんが好きで、みんなしおりちゃんの味方だよ」

わたしは電車のなかでそれを読んで、泣いた。それは、うれしさの涙というには、あまりに醜かった。当たり前に家族に愛されるということが、羨ましくて、憎くて、悔しかった。家族に愛された人間は、こうも正しくて、暴力的なんだと知った。
彼は、たしかに私を愛してくれていた。わたしは、それを汲めるほど愛情を知らなかった。
涙は、止まらなかった。平日の人がまばらに座ったJR。電車はぐんぐんスピードを上げて、わたしの身体は、彼の住む街からどんどん離れた。電車は規則的に叫びながら、構わずわたしを運ぶ。この涙を、その速さで拭ってくれよ、と思う。涙は、構わず流れ続ける。窓の景色も、構わず過ぎる。わたしの知らない街、知らない家の屋根、知らない家族の愛情が、構わず去っていく。
わたしだけがずっと、正しくなかった。わたしだけがずっと正しくなれなかった。涙はもう出ていなかった。

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