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猪狩くん二十歳

猪狩蒼弥くん。二十歳のお誕生日おめでとうございます。

2022年9月20日。
今日はわたしの愛する自担である猪狩くんの記念すべき二十歳のお誕生日。さあ何をしよう、どうやってお祝いしよう、と悩んでいるうちにあれよあれよと時間が流れていってしまって。気付いたらあっという間にこの日がきた、という感覚。

さて。
わたしが猪狩くんに出会った当初、猪狩くんはまだ13歳だった。当時はその幼さから(そして自分自身はとっくに成人していたという点から)「わたしが気になってる子は13歳の中学生なんだよ」なんて大きな声では言えなかった。そして当時の猪狩くん自身やHiHi Jets(HiHi Jet)の人気からしても恐れ多くて大きな声ではファンだと名乗ることができなかったのもまた素直な気持ちで(本当にごめんなさい…)。それでも、そんな中でも、わたしは猪狩くんが気になったし、うまく言葉にできないものに惹かれた。

13歳の猪狩くん。
2015年10月26日、「HiHi Jet」の結成。そしてその年末からHiHi Jetのメンバーとして帝劇の舞台に立っていた猪狩くん。それこそがわたしと猪狩くんを出会わせてくれたものである。ここぞの出番で帝劇のステージを猪狩くんが独り占めしたあの瞬間。当時はよくローラーで滑りながらも上半身(特に腕)でポーズを取っていたのが印象的で。その頃のジュニアでそもそもそんなを事するのは猪狩くんぐらいしかいなかった。その動きやポーズがとてもクセの強い個性的なものだったから「こんな子がジャニーズにいるんだ」とただただ衝撃的で。そして目力がとても強かったのをよく覚えてる。その目に惹かれたんだ。ローラーで滑りながら手を伸ばすそのポーズ。その手を心の中で握り返したのは他の誰でもないわたしだった。
春にはクリエAとしてクリエに出演。ハイクラでのクリエ。猪狩くんは当時からたくさん見学にいっておりよく見学者として名前が上がっていた。夏にはグループ名が「HiHi Jets」となり複数名にてEXへ出演。秋にはジャニーズ5(ジェットボーイズ)としてドリームボーイズへの出演。WTMHTがとても印象的で可愛くて。そしてまさかの少年たちにも同時期に出演。猪狩くんはわたしが知った当時からとても忙しい子という印象だった。当時HiHi Jetは「社畜ジェッツ」と揶揄られる程実際に忙しかったから。

14歳の猪狩くん。
年末から年明けにかけて二ヶ月間行われたALLSTARS、そして秋に行われたYOU&ME。ALLSTARSではうっすらベージュで光沢のある衣装を着て会見に臨んだ猪狩くん。立ち位置が最端だろうが関係なくごりっごりに個性的な動きで踊ってた猪狩くん。春のクリエでは骨折にて無念の欠場。その後復帰した夏のEXではHiHi Jet4人で「ララリラ」を歌った事がとても印象深かった。復帰が嬉しくってわたしがEXの住人となっていた年。HiHi Jetの出番でいの一番に猪狩くんがソロでローラーで出てきた時に思わず泣いた。HiHi Jetの出番の時に光るペンライトの数が少なくて、ずっとずっと悔しい思いも肩身の狭い思いもしていた年。

15歳の猪狩くん。
湾岸ライブでのパフォーマンスが好きだった。そしてここで初めて猪狩くんとハイタッチしてしまう個人的記念すべき年。その年の冬にはハピアイに出演してここで沢山のパフォーマンスを見ることができた。ブギキャ、ABC、ラブドリ、そしてガラスの十代。一番の出来事といえばHiHi Jetにさくちゃんが加入した事。HiHi Jetはグループ名にsがついてHiHi Jetsとなり、ギアを何個も上げたような気がする。猪狩くん自身も見違えるほど仕事に対するキレが良くなっていった。それまでのHiHi Jetsはどこか「個々の集まり感」があったのに、さくちゃんが加入した事で「グループ感」を意識して大切にするようになっていった。さくちゃん加入後初披露は少年収からの滝沢歌舞伎、その後、春のクリエ、夏のEXと続いて、秋にはドリボへの出演。淡々と。でもしっかり着実に。ひとつひとつのお仕事での成長がすごかった。

16歳の猪狩くん。
仕事の幅がぐんっと広がったなと感じた年。アニメ「爆丸バトルプラネット」の主題歌起用、ドラマ「恋の病と野郎組」でドラマ出演デビュー。春のクリエ、夏のEX。そして、8.8。8.8のリハーサルで怪我をしてしまったと後から知った。猪狩くんが16歳だった2019年の7月9日にジャニーさんが亡くなられた。さらに2019年秋にはドリボ出演からのメンバー活動自粛。いろいろと重なった年だったように記憶している。

17歳の猪狩くん。
ドリボ後からのジャニアイ。そして新型コロナウイルスの流行。伴い世界がガラッと変わってしまった年。春に予定されていたコンサートも中止。その後は動画配信が主流となった。配信ライブでも様々な趣向を凝らしてくれた。直接会う機会に恵まれなかった年。でも、配信ライブでは本当に色々見せてくれた。ううん、魅せてくれた。KlaxonもENTERTAINERも映像美を存分に発揮させたものを魅せてくれて天才だと思った。猪狩くんにかかれば有観客でも配信でもジャニーズのショーに変わりないんだなって思った。猪狩くんの新たな才能に気づけた年。でも、やっぱり、会えなくて寂しかった年。

18歳の猪狩くん。
「俺たち応援屋」でスクリーンデビューを果たした猪狩くん。人生で初めての舞台挨拶。舞台挨拶で久しぶりに猪狩くんを生で見ることができて大感激した事をよく覚えている。そして年末にはラジオドラマ「オートリバース」への出演。このラジオドラマの猪狩くんがとても良くって。わたしは未だに録音したラジオを聞き返している。ラジオ出演と同じように、声の、喋りのお仕事が合うんだなと発見したタイミング。そしてようやく現場での有観客が復活して、夏のサマパラでは久しぶりの感覚にわたしは何度も泣いてしまった。コンサート時の個人挨拶が生まれたのもこの年。そして秋には初座長となる舞台少年たちへ出演。加速度上げてどんどんと大きくなっていった年。

19歳の猪狩くん。
初のアリーナクラスでのコンサートが開催された。ドラマも「全力!クリーナーズ」ではHiHi Jets五人揃っての主演ドラマ、その後続いて「トモダチゲームR4」への出演と、仕事の幅を着々と広げていったように感じた。KAT-TUNの中丸くんと共演をきっかけに交流を持った事から「ジャにのちゃんねる」では度々その名前が上がり電話での出演や生配信への出演もあった。森永製菓「大玉チョコボール」のWebCMキャラクターにも起用してもらえた。サマパラだってあった。少年たちだってあった。これでデビューしてないの?と感じる瞬間がどんどん増えてきた。そしてわたし自身にもいろいろと気持ちの変化が起きた年。アリーナクラスに始まり言葉としてデビューが目標の一つだと言うようになり、大きくなっているからこそ感じる距離の遠さや寂しさ。でもとても誇らしくて愛おしくて。複雑な感情を抱えながらも応援してその姿を見守ったわたしがいた。

そして、今日。
猪狩くんは20歳になった。

わたしが猪狩くんと出会って応援し始めてから約七年が経った。本当にあっという間で、でもとてもとても濃厚で。振り返れば猪狩くんとの思い出がたくさんできていた。もはやわたしの今の生活に猪狩くんは必要不可欠で。すっかり猪狩くんが自分の生活や自分の人生の一部となっている。

気付いたらファンじゃない一般の人もHiHi Jetsの名前を知ってくれているようになった。わたしが「HiHi Jetsが好きで…」と話すと、「知ってる!ジャニーズのグループでしょ?ローラー履いてる人たちだよね?」とその名前とセットでローラースケートまでもが定着していた。わたしは気付いたら胸を張って「HiHi Jetsのファン」だと、「猪狩くんが大好き」なんだと言えるようになっていた。わたし自身に人権を与えてくれたのは他の誰でもない猪狩くんで。猪狩くんが、HiHi Jetsが頑張ったから、わたしはしっかりと自分の好きな人達の事を誇って生きることができるようになった。それがこんなにも健全で幸せな事だとは思わなかった。猪狩くん、HiHi Jets、本当にありがとう。

そして気付いたらたくさん緑ペンライトを手に持つ人がいる。猪狩くんがその光景を見て嬉しそうに瞳を輝かせていたのもまた印象的だった。もちろんまだそこまで数が多くない時だって猪狩くんは一生懸命自分のファンを探しては笑って手を振っていたけれど。緑のペンライトで埋め尽くされた光景は2021年のサマパラが記憶上恐らく初めてで。わたしはそれを見てだいぶグッとくるものがあった。

HiHi Jetsは現場至上主義みたいな所がある。春夏秋冬あっちでもこっちでも現場があってはわたしは時間を作っては会いに行っていた。時には一日のうちに二つの劇場を行き来する事だってあった。流れが来たぞ、波に乗ってきたぞ、ここからだというタイミングでピンチがきたりもした。特に新型ウイルス蔓延で漏れなく予定されていた現場が無くなった時は絶望的だった。配信が前線に出て来たり。会いたくても会えなかったり。貴重な十代の時に生でその姿を見られないというのはいちファンとしてとても辛いものだった。それでもそんな時期を乗り越えてまた有観客現場が復活して。会える事の貴重さや尊さを改めて感じられたように思う。推しは推せる時に推せ、そして現場は入れる時に入れ、これはわたしの格言。

二十歳になったら。きっと今まで以上に世界が広がるんだろうなと思う。それはお仕事の面でもそうだし、私生活の面でも。いろいろな誘惑だって出てくると思う。その人気や知名度にあやかろうと手招きしてくる悪い大人だって出てくるんだろうなと。でもわたしはそのどれもが経験だと思っているし、自分自身の経験から失敗から学ぶ事はたくさんある事を知っている。でも、だけど、だからこそ。猪狩くんの生活や暮らしがあまり悪に染まらずに、これまで通り一つ一つの選択をプラスの理由で選んで行ってほしいなと勝手ながら願ってしまうんだ。それは猪狩くんが意図的にこちらに見せてくれている「綺麗なところ」のイメージが強いからなのかもしれないけれど。愛する人には悲しい気持ちや辛いと感じる状況に陥ってほしくないと願ってしまうのは、幼い頃から猪狩くんの事を見てきているからなのか。それとも愛する人だからなのか。恐らくその両方か。

本当に勝手ながら「アイドルは十代のうちが華」だと思っていた。だからこそ十代が終わったら…という心配もあった。けれど気付いたら時代の流れが変わった。年齢なんて数字であって何がきっかけで人気が出るのかわからない状態となった。若さは武器。だけどその武器は「数多ある武器のうちのひとつ」。若いからと言って決してそれだけではない。そして人間性や人柄が問われる時代になってきたと思う。十代からその姿を見てきたからこそ言えるけれど、猪狩くんは年々アイドルとしてそしてエンターテイナーとして「良く」なっている。「味」や「個性」も強く濃く出てくるようになってきた。きっとこれから。絶対これから。猪狩くんが例え「十代」という縛りや「若さ」というカードを潔く捨てたとしてもそれ以外のカードで絶対に「勝てる」んだ。わたしは確証している。十代の頃には出せなかったカードをたくさん出していこう。新しいカードはいくらでも猪狩くんの掌の中で作れるんだ。

猪狩くん。
二十歳になりましたね。わたしが猪狩くんに出会った当時、猪狩くんは13歳だったから、なんだかどこかで猪狩くんは永遠に十代なんだ!とか馬鹿な事を思っていたりしました。そんな猪狩くんが今日で二十歳。月日の流れはとても速いけれど。でもその流れに負けないぐらい、わたしが猪狩くんを見てきた時間は一瞬一瞬が宝物でどの瞬間もかっこよくて愛おしくて大好きでした。ファンにとって応援しているアイドルその人自身が、果たしてどう思って過ごしているのか?楽しく過ごせているのか?等、芸能界という世界で生きていく上でのメンタル的な所はとても気になります。こんなにもずっと多忙で、早くから大人の世界で働いて。所謂一般的な社会で生きてきたわたしにはその世界の(プラスの面でもマイナスの面でも)凄さみたいなものは、例えば漏れ聞こえてくる話や噂や想像の範疇を結局出なくて。分からないからこそ「それは幸せ?大丈夫?無理してない?」と心配になる事もあって。そんな中で猪狩くんが十代最後に書いてくれたブログの中で「日本で一番楽しい十代を送ってた気がします。」と話してくれて。わたしはホッとしてちょっとだけ泣きました。そして同時にありがとう、とも思いました。それはファンとしてきっと一番聞きたかった言葉だったから。日本で一番、だなんて、また大袈裟なんだから、って笑っちゃったけど。でもきっとそれぐらい猪狩くんにとって振り返った十代は素晴らしいものであったのですね。本当によかった。その気持ちを共有してくれてありがとう。猪狩くんがここぞのタイミングで関わってくれている人への感謝の意持ちをきちんと伝えられる事、こちらに伝えてくれる事。勝手に応援させてもらっていてそこに夢を見させてもらっている分際なのに、こちらの愛を受け止めてくれてそんな嬉しい事を言ってくれていつも本当にありがとう。猪狩くんから出てくる素直な言葉たちが私は大好きです。それもこれもまずはご家族の支えと愛情あってのものだと思うので、二十歳のこのタイミングで是非ご家族並びにご両親に感謝の気持ちを伝えてみるのもいいかもしれませんね。愛情深い猪狩くんの事だから、そんなのこちらが言わなくても既にしているのかもしれませんが。ご家族の事が大好きな猪狩くんがわたしは大好きです。猪狩くんの十代をたくさん見させてもらって愛情を注がせてもらってわたしはとても楽しく幸せでした。家族や仕事や友人や体調の事でわたし自身生きるのが辛い時も悲しい時もありました。でもそれと同じぐらい楽しい時も生きててよかったと感じるぐらい嬉しい瞬間もありました。そのプラスな感情は全部全部猪狩くんの存在無くして生まれなかったものです。本当に本当にありがとう。改めて、大好きです。愛してます。いつも幸せな瞬間をわたしにくれてありがとう。

20代となった猪狩くんにも、引き続きたくさんの愛がその周りを埋め尽くしますように。

緑の薔薇を99本、大切な貴方に。
お誕生日おめでとう。

2022年9月20日 りさより

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