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ガチ恋?リア恋? #2(last)

自担に対する思いがガチ恋なのかリア恋なのか、はたまたそれ以外なのかを考える。

そのに。

そのいちはこちらから。

前回、リア恋、リアコ枠、ガチ恋についてわたしなりに定義してみた。今回、新たに加筆修正を加える形で、ここでは以下の通り定義して話を進めていこうと思う。

「リアコ枠」
"みんなのアイドル"であるその人物(虚像)に対して、恋愛における「付き合いたい」「結婚したい」という思いをあくまで"軽く"抱く事であり、そこに「独占欲」は生じない。「一人の異性」として好きな訳ではなく、「アイドルをアイドルとして好き」な状態。「付き合いたい」「結婚したい」と言うものの「実際に付き合う事」「実際に結婚する事」に対して真剣にかつ現実的に考えてはいない。つまり、「リアルな自分自身をそこに投影していない」状態。リアコ枠は架空のお話であり、それこそが虚構。
「リア恋=ガチ恋」の共通認識
軽々しく「付き合いたい」「結婚したい」とは言えないほど(人によっては言えるが)対象人物に対して思い焦がれ、アイドルをしているその人物を一人の異性としてリアルな恋愛感情を抱く。「付き合いたい」「結婚したい」をリアルに考えており、「リアルな自分自身をそこに投影している」状態。盲目である状態が多く、その為にリア恋・ガチ恋の自覚がない事も多い。
「リア恋」
比較的平和に恋をしている状態。周りに公言する事でこれ以上気持ち的にも行動的にも暴走しないよう、どこか自己防衛している節もある。同担拒否については、それがアイドル云々に関わらず一般的な恋愛におけるものと同レベル。周りに対する対抗心は薄い。お花畑気質。
「ガチ恋」
より必死感や焦りが見える状態。と言うのも、知らぬ間に気持ち面や対応面などで周りと自分を比較してしまい、周りを気にするあまり、周りを落としてでも自分がのし上がろうとしてしまう。同担拒否が強く出ている。盲目ではあるが、どちらかと言うと自分がガチ恋(またはリア恋)である事に多少なりとも自覚がある。

ガチ恋に対して嫌悪感でも抱いているのか?というほどさ、あまり良い事が書けなかったのは反省点ではある。

さて。
上記の通り定義したとして、では自分の猪狩くんに対する思いは果たしてどれに該当するのかを考えていく。

まず。
前回もお話した通り、わたしは猪狩くんに対する「独占欲」というものが存在している。恥ずかしいがこれは紛れもない事実。その為、この時点で猪狩くんに対する思いは「リアコ枠」ではない事は明白だ。

わたし自身の恋愛観の話になるが、恋をすると一直線であり一途であり、愛情表現も素直に行うタイプであると自覚している。その為、対猪狩くんには現状それらがそのまま表に出ている状態となっている。猪狩くんに対して「好き」「大好き」「ここが好き」と常に言う。猪狩くんの自己肯定感を高める為にあれこれ思慮する事もある。それは普段の恋愛においても同じで、相手には常にかっこよく前向きに生きていて欲しいからそうしてしまう所があるのだ。好きな人の事ならなんでも知りたいのでその探究心や興味は強く深いものがある。嫉妬すると素直に言う。素直に態度に出る。楽しく恋してお花畑している状態であると言えるだろう。

話は少し逸れるが。
どこか常に猪狩くんの事を「リアルな一人の人間」として捉えている所があるように思う。17歳という年齢はなるべく見て見ぬフリをしているが、それでもどうしたって付き纏う問題である。なんならわたしにとっては「アイドルである事」よりも「17歳である事」の方が弊害が大きい気がしている。そうやってひとつひとつの事を、そこに「リアルな自分自身を投影させて」「リアルに今や今後の事を考えてしまう」傾向がある。

閑話休題。

では、「同担拒否」や「対抗心」についてはどうだろうか?
自己評価となるが、わたしは猪狩くんファンに対する「同担拒否」はないように感じている。むしろ色んなかっこいい可愛い猪狩くんの様子を知りたいし共有させてほしいとすら思っている。しかし、それは「みんなのアイドル猪狩くん」を好きな「ファン」に対する思いであり、それが「わたしだけのアイドル猪狩くん」「わたしだけの猪狩くん」を好きな人・ファンに対する思いは少々複雑なものと変化してくる。恐らく一般的な恋愛におけるものと同程度の「ライバル心」が生まれているのでは?と考えている。
また、例えば「わたしは猪狩くんの事をこう思っている」「猪狩くんの事をこう解釈している」といった類のもの、実際のツイートで表すと「猪狩くんって〇〇だから〇〇なんだよね〜」といったような「わたしの猪狩くん像」を語る人が少しばかり苦手だ。声が大きくなればなるほど苦手だ。ただし楽曲や人物像の「考察」はまた別でありそれは常に知りたいし読みたいと思っている。そういった「わたしの猪狩くん」を語る人に対しては対抗心が少なからず生まれてしまい、「いえいえ!わたしの思う猪狩くんは〜!」と言ってしまいたくなる。浅はかである事は百も承知。ただの対抗心であり嫉妬心でもあるだろう。

ここまで自己評価してみて、改めて自分の事を客観視する事ほど恥ずかしいものはないなと感じる。しかしこれが紛れもない今の自分である為、受け入れるしかない。わたしはこんな自分が好きだ。自分が好きな猪狩くんでたくさん埋め尽くされている今の自分が好きだ。

結論。
上記の事から、わたしは猪狩くんの事を「リア恋(多少ガチ恋の傾向もあり)」として好きである事がわかった。「多少ガチ恋の傾向もあり」と書いたのは、常日頃からの敵対心や対抗心はないものの、稀にそのような感情が生まれる機会もあるからである。しかし、noteやツイートを踏まえても、基本的には楽しく平和にお花畑していると評価できるだろう。「自分は猪狩くんの事好きなんです!」と言う事でどこか自己防衛しているのも自覚している。なんとも複雑だが、これを結論としてこの話は一旦終わりにしようと思う。

こんなわたしで良ければぜひ仲良くしてもらいたいものである。それと他人様のリア恋ガチ恋リアコ枠についての話も気になる木。おわり。



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