現代芸術論


19世紀印象派以降からアートはアートの為に存在した。表現としての純粋性を求め、前時代の表現を塗り替えていく様に新たな表現が生まれた。そして「アートのためのアート」はミニマリズムをもってその純粋性を極め、ポップアートの登場により終わりを迎えた。この様な歴史の上にあって、現代における”アート”とはどの様な役割を背負うのだろうか。

仮に「アートのためのアート」ないし「表現探究としてのアート」が終わったとするならば、逆に"終わっていない"といえるアートの役割について考えてみる。そしてそれを「映す」こと、「伝える」こと、「現す」ことであるとしてみる。アートは時に風景、世界、時代、感情などあらゆるものを「映す」ものとして存在した。あるいは何かしらの意味を見るものに「伝えて」きた。そしてアートとしてモノがあるということ、モノを介して意味の往還が起こるということ、それはこの世界における一つの新たな「現象」である。


ところでアートとは役割の外側においてなされるものである。アートは、社会ないし資本主義という仕組みにとって必要ではない。現代においてアートとは、役割の外側に在ってわざわざ何かしらを「映し」、「現れ」、「伝える」ことで世界を豊かにしようとする目論見である。(対外的にはそうである。実際にはアーティストの根源的な創作欲、表現欲によってなされるものであるとしても。)
だからそこ現代におけるアーティストは何を映すべきか映さないべきか、伝えるべきか伝えないべきか、現すべきか現わさないべきかを豊かにすべき社会の在り方を見つめた上で吟味しなければならない。そしてそれこそが現代におけるアーティストおよびアートの役割である。

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